その2では主要部②①郭への段を経て入るルート、など主要部周辺を辿ります。主要部を囲うE郭に②、③など不正形に張出し、切岸下E郭に居る敵に対し横矢が掛かる。
派生する尾根は堀切で遮断されている。その1の畝状空堀群とHは湯峯峠方向から来襲する金森軍に対し備え、この主要部の北、東は、越中西街道、古川盆地方向には堀切で遮断し備えている。
大手は辿ってきたルートで、後期に金森軍対策に畝状空堀群を設けたのであろうか。
その1では、E郭から②へは、写真右の道を素直に登りましたが、E郭を左に進み
この段を経て折れ②へ入る虎口も考えられます。
このルートは②郭から横矢が掛かる。
この段にあがり
(奥に①郭の土塁切岸)、右に折れ
ここにはいったのでは。
右が②郭、左一段高く①郭
①郭には地元の方が昭和33年の建立した姉小路家の菩提を弔う観音堂が建つ。
①北には、一段低く③郭が張出し、E郭に横矢を掛け、さらに北尾根に備える。
北尾根にはさらに概ね三段の郭を配し、堀切で守りを固めている。
さきほどの虎口を出て、主要部切岸したE郭を周ります
右にあがると先ほどの虎口
切岸したE郭を北に進みます。
①郭北下、③郭が張出し、横矢を掛けています。
北尾根は概ね三段に郭を配しています。その郭間の切岸は、それぞれぞれ鋭く切りたてられています。
③郭下
その下の郭
その下⑤郭先端
右から土塁が巻く
通路土橋かもしれません
左には畝型阻塞のような遺構もあり(写真不明瞭のため掲載しません)、先端は切岸、堀切で遮断しています。
北端
鋭い切岸と堀切で遮断されてる。
では東へ
E郭東
切岸うえは②①郭
東の尾根、南東の尾根も堀切で遮断されています。
東の尾根
E郭直下に鋭い切岸と堀切、その先30mにもう一本堀切Dを設け遮断している。
横から
堀切D
南東の尾根
数段の郭と切岸、堀切で守りを固めている。
参考文献 岐阜の山城ベスト50を歩く