狩野城(伊豆市本柿木) | えいきの修学旅行(令和編)

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狩野城
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 伊豆市史跡・農村公園として整備され、登り口に駐車場・年表・説明版があります。http://yahoo.jp/4xQ3p5
平安時代から続く名門狩野氏の居城とされ、明応二年(1493)伊勢新九郎の伊豆乱入に抵抗する。明応7年に、狩野道一が伊勢宗瑞に降って後は、北条被官として重用された。
 
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駐車場にある説明版に則り郭名を記入
おおまかな地図と思って見てください。
 主郭は③中郭で、東、北、西は急崖で削ぎ立っている。南東の尾根は三重堀切で遮断している。
①出丸と②東郭の間は、自然地形を利用した大空堀で隔てられ、自然地形に拠る大胆な遺構が、迫力よく残る。 駐車場は図の下方にあり、遊歩道が整備され変な所へ踏み込まなければ危険なく巡ることができます。
  
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出丸からまわる、緩いルート(まっすぐ)と、西郭からまわる急なルート(右へ)があります。
私たちは緩いルートで登り、急なルートで降りてきました。
  
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10分も緩く歩くと、①出丸の東に辿り着きます
  
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①出丸
馬念さんの向こうに大空堀というか谷
  
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出丸から大空堀を隔て東郭、中郭 
ここで期待以上の狩野城に驚愕しました。 
 
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凄い
 降りていきます。
 
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堀底から左の谷
谷の右上方が③中郭
遊歩道は右に上がり、②東郭へ
 
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右上が東郭
 
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 ②東郭
開口部の「下に一段郭があります。
左は谷が入り込む急崖
 その方面への馬出しでしょうか。
 
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左の谷
 
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開口部したの郭 
 
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開口部から
逆落としに逆襲するのでしょうか。
いまいち運用がわかりません。
 
③中郭へ向かいます
 
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左へ登ると③中郭
直進すると本郭・西郭方向
 
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中郭へ
 
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神社があります
 土塁も。
 
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③中郭
ここが主郭だと思います。
土塁と一段高く④南郭。
写真奥右隅に下る尾根には三重の堀切が刻まれ、遮断されています。
 
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南東隅に下る尾根を遮断する三重堀切の一重目
堀切というより切岸か
私、ここで滑り、あわや滑落していきそうになりました。体を張った写真ですので大きめに。
 
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三重目
 
二重目
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この左、中郭東の谷
 
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高地④南郭
櫓台か
この下にも郭があります
 
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南郭下の郭
 
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南郭から中郭をみる
写真左上、谷・堀切を隔てて⑤本郭を配す。
 
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中郭から本郭をみる
この本郭も左に開口部があり、この方面へ逆落としに逆襲馬出しなのでしょうか?
現地説明版では谷の下に水の手となっています。
 
中郭を出、本郭へ
 
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左上は、いま見てきた中郭
突き当たりが本郭・西郭地区
 
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右下は遊歩道の登り口
 
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堀切の右が本郭・西郭地区
 
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木の緑あたりが虎口というか開口部になっていて、その向こうが⑤本郭
 
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開口部
 
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⑤本郭
土塁と虎口が備わっているが、運用はよくわからない。
 
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本郭の西は、見事な二重掘切
そのむこうに西郭
 
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西郭
ノラさん、なにを想う
 
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西郭の西は大堀切
ここまでが城域か。
 
 伊勢宗瑞の明応年2年の伊豆乱入から、明応7年の道一の従属まで、5年にわたりわたり頑強に抵抗、かつ従属後は重用されたのは、経済力、武勇もさることながら、この狩野城の要害性に拠るものであろうか。
 なお、絵師として著名な狩野派は、この狩野氏の一族。
 
 参考文献 静岡の山城ベスト50 現地説明版