現地説明版に佐伯哲也 越中中世城郭図面集Ⅱの郭(英字)、櫓台(〇数字)を書き込んであります。
その1では、黄色矢印のように上百山砦からあがってきました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/40/56/j/o0336044614510046921.jpg?caw=800)
左図ではB郭が本曲輪とされていますが、A郭・中曲輪が主郭のようです。
構えは、越中平野と宮崎城下の谷を結ぶ山街道が通る上百山砦(図上)と、殿入峠(図下)に向かって堅固に普請されています。
○上百山砦からは、見張台高地の北裾(白点線)のように帯曲輪Gに入ったのではないでしょうか。帯曲輪Gは、城内には櫓台②④が立ちはだかり、上斜面からも下斜面へも長い竪堀が走り、動きが制限されます。城内に入るには櫓台②と④に挟まれた虎口を突破しなけれなりません。
○殿入峠は、堀切と土塁で遮断防備されています。南曲輪Dは櫓台①を備えた中曲輪Aから横矢が掛かります。南曲輪Dからは中曲輪Aに入る虎口には櫓台⑦が待ち受けています。
北曲輪Eは城兵の駐屯スペース、東の曲輪は普請途中のようで未完のようです。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/7b/2c/j/o0314020914510046928.jpg?caw=800)
見張台高地から本曲輪Bにおりたところ
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/3f/33/j/o0314020914510046933.jpg?caw=800)
帯曲輪Gまで斜面を遮り落ちる竪堀
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/ec/4d/j/o0314020914510046939.jpg?caw=800)
見張台高地を見上げる
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/5e/8b/j/o0314020914510046945.jpg?caw=800)
中曲輪Aへは土橋で繋がる
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/8f/eb/j/o0314020914510046948.jpg?caw=800)
土橋右は櫓台①
堀は鉤の手に折れている
櫓台⑦は殿入峠方向から南曲輪Dに入る敵に備えている。この堀切内、本曲輪Bと繋がるこの土橋にも。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/df/e7/j/o0314020914510046958.jpg?caw=800)
土橋左
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/26/4c/j/o0314020914510046964.jpg?caw=800)
堀切の中曲輪A側には塁線土塁がある
中曲輪は主郭であろう。
佐伯先生は、この先端に櫓台②を指摘している。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/85/b5/j/o0314020914510046969.jpg?caw=800)
櫓台②
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/8e/50/j/o0314020914510046983.jpg?caw=800)
櫓台④
一段低くH曲輪
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/d9/45/j/o0314020914510046988.jpg?caw=800)
櫓台④の郭H側は堀切が掘られている
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/91/db/j/o0314020914510046993.jpg?caw=800)
櫓台②と櫓台④に挟まれた虎口
その外は帯曲輪G
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/84/37/j/o0314020914510047002.jpg?caw=800)
帯曲輪G
横尾集落、上百山砦方面からはここに入ったのではないだろうか。
竪堀が上斜面(見張台高地と本曲輪Bの境)からも、下斜面へも、長い竪堀が走り、動きが制限される
下斜面への竪堀は右下の葉の陰
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/1f/76/j/o0314020914510047008.jpg?caw=800)
下斜面への竪堀
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/29/ca/j/o0314020914510047015.jpg?caw=800)
上斜面(見張台高地と本曲輪Bの境)から降り落ちてくる竪堀
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/d4/07/j/o0314020914510047023.jpg?caw=800)
帯曲輪Gから櫓台④、②に挟めれた虎口
ここに門があれば面白い
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/7f/c9/j/o0314020914510047032.jpg?caw=800)
櫓台④付近から北曲輪E、二の曲輪
佐伯先生は、城兵の駐屯スペースとし、櫓台④は、城兵の駐屯スペース北曲輪E、二の曲輪をも監視するとしている。中曲輪Aに居る軍勢を北曲輪E、二の曲輪に居る軍勢が裏切る可能性があるということか。中曲輪Aが越後勢、北曲輪は越中勢とか。
中曲輪Aにもどり、南の構えを辿ります。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/f3/b8/j/o0314020914510047043.jpg?caw=800)
殿入峠から入る南曲輪D側は、幅広の堀で隔て、櫓台⑦①を立て、横矢を掛ける。
虎口は櫓台⑦で守り土橋で南曲輪Dに繋がる。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/df/8b/j/o0314020914510047047.jpg?caw=800)
櫓台⑦と虎口
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/83/26/j/o0314020914510047051.jpg?caw=800)
土橋の向こうが南曲輪D
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/45/63/j/o0314020914510047060.jpg?caw=800)
土橋左の堀切
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/52/e2/j/o0314020914510047065.jpg?caw=800)
の堀切を中曲輪Aから
南曲輪Dの東も、いい堀
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/33/e4/j/o0314020914510047089.jpg?caw=800)
土橋右
幅広の堀
説明版は武者隠しとしている
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/4c/94/j/o0314020914510047098.jpg?caw=800)
南曲輪D
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/b3/1d/j/o0314020914510047103.jpg?caw=800)
南曲輪D東の見事な堀
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/dd/fd/j/o0314020914510047107.jpg?caw=800)
南曲輪Dは殿入峠方面に細長く伸び、中曲輪Aから横矢が掛かる
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/24/85/j/o0314020914510047113.jpg?caw=800)
殿入峠方向
殿入峠から攻め寄せた敵はここに来る。
城内方向は
![イメージ 32](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/4c/ad/j/o0314020914510047117.jpg?caw=800)
なかなか、鋭い
![イメージ 28](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/ec/be/j/o0314020914510047122.jpg?caw=800)
二重の堀切で遮断されている
![イメージ 29](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/e3/23/j/o0314020914510047126.jpg?caw=800)
殿入峠
堀切で遮断するだけでなく、土塁も設けて敵からの攻撃を防いでいる。
![イメージ 30](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/91/6b/j/o0314020914510047130.jpg?caw=800)
土塁
このように山街道が通る上百砦方面、殿入峠方面に厳重な防御普請がなされている。
が、東曲輪、北曲輪は防御普請がなされていない。
佐々が宮崎城につけた付城ならば、北と東が最重要なはず。
![イメージ 31](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/f0/7f/j/o0314020914510047136.jpg?caw=800)
未完な雰囲気の東曲輪
佐々と上杉の獲りつ獲られつの抗争は、天正13年8月佐々成政の秀吉への降参で終わる。越中三郡は前田領、新川郡は佐々領となる越中国切が行われる(天正11年秀吉ー上杉同盟締結時に決まっていた可能性有)。
景勝は越中から退くことになる…。
山街道が通る上百砦方面、殿入峠方面に厳重な防御普請と、急造途中とおもわれる普請は、そういった事情であろうか。
参考文献 佐伯哲也 中中世城郭図面集Ⅱ 高岡徹 戦国期越中の「海賊」史料をめぐって
竹井英文 織豊政権と東国社会 竹内俊一 越国境朝日町の山城 上越市史