横尾城その1(富山県朝日町横尾) | えいきの修学旅行(令和編)

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越中 境の要害
宮崎城を主城とし、元屋敷城、横尾城を左右に従え、越後国境の前に立ちはだかる。
 
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中平野の東の端の山尾根上に築かれている。
 現在、国道8号線トンネルが元屋敷城の下、県道103号線トンネルが上百山砦の下、北陸自動車道トンネルが横尾城ー宮崎城の下を通っている。  当時は元屋敷城が海岸道を、上百山砦が古代北陸道の官道であったと思われる山の道(朝日町の山城)を堀切にし、また、横尾城は南の殿入峠を押え同じく山街道を扼していたであろう。 
 城下横尾公民館前にある説明版には「戦国の1509年(永正6年)越語守護上杉定実と謙信の父長尾六郎為景が越後反抗の拠点として尾根の各所に曲輪や空堀を設けて守りを堅固にし、佐々成政が手を加えて今日に残したのが横尾城である。」 としているが、佐々が宮崎城よりも越中側に普請するであろうか(付城は築いた)。また遺構は鉤の手に折れた堀、張り出した櫓台を備え、永正年間よりもずっと新しい天正頃の構造と考える。 
 天正10年(1582)、景勝は庄田隼人佐の後の境料所(直轄の蔵入地)の代官を、岩舟藤左衛門入道に申付けている。「境料所代官職、庄田隼人佐如策配并彼者知行・被官以下如前々可申付者也、仍如件」(上越市史2494) また同日、直江兼続から岩船一策斎にあてた内覚中に「當年土貢之納所、何方ニ而茂可然所見繕、御蔵可被相達之事」
とあり、土貢を納める蔵を建てるよう申付けている。
  天正元年、謙信は越中中央部太田保を料所として申付けていることから、同時期以前には、境にも謙信の料所がおかれ、越後から代官や番衆が派遣されていたことであろう。その代官や番衆の根小屋が宮崎城南西山麓の一の坂武家屋敷群であったなら、緊迫時は山上に揚げるとしても御蔵もそこにあったのではないだろうか。その根小屋・御蔵のある谷を越中側から守るためには、越中側の山上に横尾城ー上百山砦を強化し警戒にあたる必要があり、(2021.11.15 ききとりでは中世遺構ではないということでしたので、消します)天正年間に上杉氏によって利用されたのではないかと私は推測する。
  また、謙信、信長の死後の天正11年2月、境要害は佐々に攻め落とされ、親不知を越え勝山城(落水城)付近まで放火されている。一時上杉の防衛線は越後国内姫川付近まで後退し、糸魚川に新城を築き防衛拠点している。が、佐々が秀吉と敵対すると、秀吉方についた景勝は、同じ秀吉方の加賀能登前田と東西から佐々を圧迫、翌天正12年10月、景勝は「…境之要害押寄、即時攻落。…」(上越市史2990)と奪還、越中国内に橋頭保を確保し、佐々に対峙する。天正13年の秀吉の佐々攻めに呼応し、景勝は境之地に番衆を増派し、用心普請・軍功を励ましている(上越市史3040~3042)。横尾城に残る遺構は、この頃の改修と考える。
 
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横尾城全景
 
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麓の長願寺
 
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長願寺前の林道の分岐http://yahoo.jp/JUswTF
横尾城は左に入る
駐車スペース1、2台あり
舗装道はお寺敷地内を通り、獣除けの電線をを越え、山の中へ続く。
私は感電しつつ越え山中へ入ってみたが、こちらからは行けないようである。
 
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沢を渡り、右に登る
 
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登り口
車は沢の手前の駐車スペースに停め、ここまではこないほうがいい。
 
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分岐らしきところ
登山道は右へ折れ、横尾城へ続く。
左に整備されてはいないが折れ2,3分進むと上百山砦に行ける。
 
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上百山砦南端の堀切
朝日町の山城」では、古代北陸道の官道であったと思われる山の道であろうとしている。
堀切左が上百山砦
 
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上百山砦
堀切と削平地からなる
古い時代の山城のつくり
 
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西斜面に、土橋状の連絡路を併せた5段になった削平地がある。
増派された番衆の居住スペースであろうか。
 
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その土橋通路、上部は堀切で狭められ、工夫されている。戦国後期も利用されたかもしれない。
 
登山道に戻り横尾城を目指します。
 
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鉄塔を経由し、尾根伝いに
 
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標高205m付近
堀切
 
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その先、堀切と切岸が迎えます
道は切岸左下をまわり登ります。
 
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尾根を歩きます
 
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馬鬣山
眺望が開けます。
普請はないようです。
 
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越中平野
 
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宮崎城
 
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下り
 
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登り
 
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下ると、いよいよ横尾城
で、この登って降りる高地が下図の見張り台とされる高地
アルファベットは佐伯哲也 越中中世城郭図面集Ⅱに対応
 
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現地説明版に加筆
前置に力が入り長くなってしまったので、ここでわけます。
要害主要部はその2で。
 
 参考文献 越中中世城郭図面集Ⅱ 
 高岡徹 戦国期越中の「海賊」史料をめぐって
 竹井英文 織豊政権と東国社会 
 竹内俊一 越国境朝日町の山城 
 上越市史