松倉城その3 三郭・四郭 | えいきの修学旅行(令和編)

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その3では、戦闘郭三郭、四郭を辿ります
見取り図の三郭、四郭は、佐伯氏先生のC、Dに該当します。
 
下縄張図の上方向、見取り図の↑方向からの攻撃を想定し、四郭と三郭で迎撃戦闘を行う普請です。
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 三郭は、20地点から侵入してくる敵兵に対し、土塁を備えた頭上郭内から迎撃。
 三郭虎口に侵入できなければ、そこは二郭(B)北東の大堀切で、高さ10mの切岸が立ちはだかり二郭へは入れず立ち往生する。切岸に取り付いたとしても三郭が健在なら背後から撃たれることになる。
 
 四郭は松倉城の北端となる。大堀切24と、堀側に塁線土塁を備えている。三郭との間は堀切22で隔て、その間に侵入し、四郭に突入するには櫓台下をまわり込む危険な道を通らなければならない。三郭への切岸に取り付いても四郭が健在なら背後から撃たれることになる。
 広い主郭・二郭に対し、三郭・四郭は狭く居住には適さないが、強力な戦闘郭と捉えることができる。
 佐伯先生は、三郭は景勝期の越後荒戸城、四郭は上杉勢力下の七尾城との類似を指摘している。
 では、写真を。
 
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二郭から堀切16堀底に降りて、見上げる
これは登れない
 
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高台は17
急傾斜だがここから二郭へ吊橋で連絡していたか。
もしくは上の二郭切岸にとりついた敵を背後から撃つ櫓台か。
 
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平場を通り
 
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三郭が見えてくる
左が敵侵入想定の20方向
 
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この辺を林道から
20から城内に侵入し、三郭を制圧しないで二郭切岸に取り付いても、背後から撃たれることになる。
 
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三郭虎口
 
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虎口から敵侵入想定ゾーン
 
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三郭
主郭、二郭の広さに比べると狭い。
居住空間ではなく、戦闘部隊が籠り、迎撃戦闘をする郭であろう
敵侵入ゾーン側の右側には土塁を備える
 
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敵侵入ゾーン側の土塁
 最初、訪れた時、なぜ城城内側に向かって土塁があるのか不思議だったが、後、越中中世城郭図面集Ⅱで佐伯先生の推論を読んで、納得しました。
 
では松倉城の北端、四郭へ
 
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三郭と四郭の間には堀切22がはしる
 
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四郭へ入るには、櫓台23下をまわり込みながら通らなければならない危険な道
 
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虎口はいると四郭
左に櫓台
 
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郭内からみた櫓台23
右下から侵入する敵を迎撃する櫓台、もしくは三郭へ吊橋で連絡する橋台か。
 
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櫓台から敵の侵入が想定される右直下をみる
 
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堀切22越しに対面する三郭下の郭
ここを吊橋で渡るか。
 
四郭内へ
 
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四郭奥、北東端は松倉城北端の大堀切24
そこには塁線土塁を備える
 
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大堀切24に面した備えられた塁線土塁
 
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四郭塁線土塁からみる、松倉城北端となる堀切24
 
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したから 
松倉城北端となる堀切24 
 
 
参考文献 佐伯哲也 越中中世城郭図面集Ⅱ