![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/22/mei881246/da/ec/j/o0433033614510039510.jpg?caw=800)
史料4
天正2年吉江喜四郎宛河田長親書状
越中最前線を担う河田長親が、謙信側近にあてて、担当する越中最前線における状況を報告しています。
謙信の眼として、手足として尽くす長親の姿が、筆跡と文面から伝わる気がします。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/22/mei881246/fb/f4/j/o0622048014510039523.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/22/mei881246/5f/34/j/o0448021614510039529.jpg?caw=800)
史料5
推定天正4年河田豊前守宛足利義昭御内書
足利義昭の花押を見ることができ感動しました。
義昭が河田長親を宛とするのですから、長親の謙信政権における重さを実感します。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/22/mei881246/80/d1/j/o0480048314510039532.jpg?caw=800)
史料6として景勝の跡を継いだ定勝の書状がありましたが、写真取り込みうまくいかず、解説シートのみ紹介します。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/22/mei881246/78/e6/j/o0640045314510039538.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/22/mei881246/70/3e/j/o0448031014510039543.jpg?caw=800)
長岡市史には、長親とその一族の越後における動向の記述があります。河田家は越後において、長親のみならず一族で大きな勢力を形成していました。秀吉との表裏の駆け引きなど、面白い内容です。
拙稿、古志長尾でも長親について少し触れています。お時間ございましたらご覧ください。
近江に福島に米沢に、修学に出かけてみたいものです。
参考文献 企画展「河田家文書展」解説シート 長岡市史