若槻山城(長野市大字東条字城・大字浅川西条) | えいきの修学旅行(令和編)

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若槻山城全景
以下、現地説明版よりまとめました。  
12世紀後半の鎌倉時代初期、鎌倉御家人若槻頼隆によって構築されたと伝わる。若槻頼隆は、八幡太郎源義家の孫にあたり、従五位下の位階をもち伊豆守を称した。
室町時代には高梨氏に属し、応永11年(1404)信濃守護代細川慈忠に反抗した際に落城した。戦国時代、川中島甲越の争いでは越後上杉方によって整備改修されたもようで、遺構はその頃のものと思われる。
 
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現地説明版の宮坂武男先生想定図に私のブログ用に加筆してあります。
主郭から南東に6段の郭を配し、特に主郭、二郭は土塁と虎口を備えた厳重な構えです。主郭背後には三重の堀切が、二郭には土塁で囲った井戸跡があります。  
標高676mの主郭背後からは、標高785m地点の番所を経て坂中峠方向に繋がります。また標高が676mと高いためか、かなり下った山腹に堂沢城、土京山城という出城があります。
 
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上図、左下の前衛的陣地のすぐ下を林道が通っており、そこまで車もバイク行くことができます。登り口はこのあたりhttp://yahoo.jp/dw3zlT 主郭まで15分程度 
 登り始めるとすぐ遺構らしい雰囲気に立ち入ります。
 
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土橋のような気がします。 
  
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 前衛陣地を過ぎ、山上へ向かう道の途中、城戸遺構のような石遺構があります。
信越国境の山城の城道には、このての城戸らしき遺構がよくあります。
  
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城道は五郭下にはいります。
右にもう一段低く六郭があります。
   
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六郭 
六郭東端(写真奥は)自然地形と堀切で崖です。 
 
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六郭東端の崖 
 
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六郭から見る山上
六、五、四、三、二、主郭と段になっています。
  
            四郭                               三郭
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二郭虎口 
二郭からは虎口、土塁を備え、堅固になります。 
 
 
                     二郭は南面、北面に土塁を備えます
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   土塁でコの字状に囲われた井戸跡              二郭から下の郭群をみるイメージ 11イメージ 12
 
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二郭南下には帯郭があります。
主郭、二郭間の竪堀が走ります。
  
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二郭から主郭への構え 
帯郭まで降り落ちる竪堀を通り、石遺構のある枡形で折れ主郭虎口へ誘導されます。
 このあたりの構造は、本能寺の変後、北信に進出した景勝期上杉勢による改修ではないか。(H28.9追記)
  
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石遺構のある枡形で折れ 
 
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主郭へ 
土塁で囲われたきれいな主郭 
 
投擲用に山下から運ばれたと思われる川原石   宮坂武男先生想定図、縄張り図のある説明版、標柱

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主郭背後(北)は三重の堀切が走ります 
番所を経て坂中峠から牟礼、春日山方向へ繋がります。
 
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主郭北の切岸と一重目堀切
 
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二重目堀切
 
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三重目堀切越しにみる主郭方向 
戦国の頃のまま、静かに眠っている雰囲気の山城です。
  
  支城編で番所、堂沢出城、土京山城を紹介します。