石垣山城その2 | えいきの修学旅行(令和編)

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 その2では、擂鉢状の井戸曲輪の脇を通り大二の丸へ入り、堂々たる石垣面を見せながら北門から本丸へ入るルート、を辿ります。
 
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 井戸曲輪脇に通る道は、心服していない参集諸将に擂鉢の底で武断の処置を言い渡される気分を想わせ、脅迫するかのような意図を感じます。
 
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擂鉢は見事な石垣面です。
 
降りていきます。
 
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 底まで
 
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 石垣つくり
 
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井戸は、小さいんです。
 
道に戻ります。
  
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井戸曲輪を脇に見せた城道は、二の丸北面下に突き当り、折れます。
 
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二の丸へ
 
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櫓台を備えた大二の丸、天下人関白秀吉が君臨する本丸
 
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二の丸から本丸へはスロープ状に入ります。
 実見した私の感想ですが、謁見は二の丸で行われ、このスロープは秀吉が舞い降りてくる舞台装置なのではないでしょうか。
 
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スロープ途中から見た本丸北面石垣
 
見事です。
セットバックがあります。
 
以下2枚、スロープ途中からの写真です。
 
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二郭
 
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本丸北口
枡形で折れ本丸へ入ります。
 
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 7月5日に北条氏直、10日に氏政が城を出て秀吉に降伏。11日に氏政、氏照が小田原城下で切腹し小田原合戦は終わります。この城がどういう造りであったのか、滅亡に追い込まれた氏政は知る由もなく果てました。この壮大な城の築城は、小田原城を落とすためというり、参集したが心服はしていない東国の諸将に対し、関白豊臣秀吉の武威を示し、屈服させるための舞台であったのだと思います。
 また、朝鮮出兵の予行でもあったことと思います。
 
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二の丸北の突出部に展望台があり小田原城が見えます。
 
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小田原城上二重戸張付近からみる石垣山城
 
籠城する氏政が見たのは…
 
参考文献 関東の名城を歩く南関東編
黒田基樹著戦国北条氏五代
歴史人戦国十大合戦の謎