旭山城(長野市の旭山) | えいきの修学旅行(令和編)

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長野県庁前からみる旭山城
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旭山城は、栗田氏の要害武田が改修和議により破却長尾が再興という変遷が史料から伺われます。 善光寺別当栗田氏の要害であったものを、天文二十四年(十月二十三日弘治元年に改元栗田鶴寿を味方に引き入れた武田晴信が「サケハリヲイル程ノ弓ヲ八百張、鉄砲三百挺入候」(妙法寺記)と籠らせ、堅固に取り立てたものと思われますこれに対し、長尾景虎は葛山衆を味方に葛山城を取り立てて対峙します。閏十月三か月に及ぶ対陣は駿河の今川義元の仲介で和議を結び両軍は撤兵しますが、和議の条件に旭山城の破却があり、その際、何らかの破却があったものと思われます。
弘治三年(1557)二月、信越国境が雪で閉ざされた時期に、馬場信春に率いられた武田の大軍が葛山城を攻囲。越後からの援軍はなく2月15日城将落合備中守は討死、葛山城は落城します。景虎は四月に信濃に出兵、「去月十八越山、同 廿五敵陣数ヶ所、根小屋以下悉放火、同日旭要害再興居陣候、如何共廻武略、晴信引出、可遂一戦覚悟候」(5月10日土佐林能登入道宛長尾景虎書状)と、旭山城を再興し、これに入ります。(第3次川中島合戦)8月29日以前に上野原で合戦があったようですが九月頃には両軍兵を引いたようです。その後は甲越の前線がより越後に迫ったため重要でなくなったものと思います。
葛山城その1https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496882701.htmlに葛山城と対峙する写真(こっちのほうが雰囲気がでています)、位置図を掲載してあります。ご覧ください。
 
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旭山観音堂の上に登り口があります。林道が通りますが、行き止まりですので旭山観音堂に停めたほうがと思います。
旭山観音堂はここhttp://yahoo.jp/I_ysZv
 
 下の縄張り図は、中田正光著 戦国武田の城から引用し、ブログ用に私見を書き込んでいます。
 旭山観音堂からの登山道は左下の紫やじるし線で入ります。
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 主郭の北西と南東の大堀切で切られた黄線内が迎撃戦闘正面と思いますので、その1ではこのエリアを辿ります。
 ハの字状の堀切の前に前衛陣地となる櫓様の高台のⅣ郭が迎えます。A堀を1線に3段に守備陣地が備えます。戦国武田の城では、大手道が城内に向かって折れるBゾーンに二本の合流した竪堀や食い込みなどの工夫があるとされていますが、私はわかりませんでした。Bで折れ入る主郭とⅡ郭の間の大堀切と鞍部上Cは、主郭とⅡ郭から挟撃され、かつA内の兵に背後をから襲われる構造のようです。
 
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Ⅴ郭
 
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Ⅴ郭から少し登ると櫓様の高台の裾をまわり登ります。
 
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櫓様の高台はⅣ郭とされ、背後はハの字状に竪堀が降り路を狭めます。
 
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道はAの南東端で折れます。Aの南東端は狭く窄み、一見、郭があるようには見えません。
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Aは、堀とされていますが、郭の端を土塁が囲っているように思えました。
 
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奥から
この土塁を胸壁にサケハリヲイル程ノ弓ヲ八百張、鉄砲三百挺で待ち構えたのでしょうか。
 
 
道に戻ります。
 
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道には城戸の跡のような石遺構があります。
 

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Bの手前付近。石垣があります。
 
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B付近
二本の合流した竪堀や食い込みなどの工夫があるとされますが、わかりませんでした。
破却?いや、破却なら中田氏が記述しないですよね。季節を改めて訪れてみましょうか。
左へ折れると、主郭とⅡ郭を隔てる大濠切です。
 
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主郭とⅡ郭を隔てる大濠切
竪土塁があるようですが、これもわかりませんでした。
鞍部上がCゾーンです。
 
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鞍部上C
 
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Cから主郭を見上げる
この登り口は城道か見学路かは、わかりません。
 
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旭山城主郭(南東から)
低い土塁が囲います。
なんとなく気品が感じられます。栗田氏の気品でしょうか。
 
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南西に内枡形様の虎口があります。
 
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桝形内は、石が散乱しています。
主郭虎口を固めていた石垣の破却の跡でしょうか。
この面(主郭南西面)は、異様に石が散乱しています。
 
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写真ではわかりにくいですが、虎口を出ると左に折れます。
進むと石垣で固められていたであろう崖。
 
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道沿い、主郭側は破却を免れた石垣が残ります。
 
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石が散乱し、道は途絶えます。
 この下方に、縄張り図に緑線で書き込んだ3線の腰郭がありますが、石が崩れそうで危険なためここからは降りず、主郭北西の大濠切からまわって降りました。
 
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途絶えた付近から主郭南西虎口への道をみる
 
主郭は、その2でも、もう少し紹介します。
 
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主郭北西大濠切
 
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 主郭南西下の腰郭 先ほどの主郭南西虎口から降りるのを断念した郭。縄張り図に緑線で書き込んだ3線の腰郭です。苔は破却され散乱する石垣の石に生えています。 この郭の下方に、縄張り図に書き込んだ2線となる腰郭があります。

 

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主郭を見上げる
苔むした石垣の石が乱雑に残ります。
 
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2線となる腰郭
 
その2で、主郭をもう少しと、Ⅲ郭、Ⅱ郭、東の郭を紹介します。
 
参考文献 中田正光著 戦国武田の城