今週は、スカベンジャー(電子ドロボー=活性酸素をしまつしてくれる掃除屋)のご利益を一席。
ボクは勉強会をもっている。自宅のやつは『偶然と必然』の講義でオープンだ。だれがきたって歓迎する。学士会館(東京)のやつはオープンじゃない。
昨年のある日の朝、学士会館へいくために門をでた。そのとたんに階段をふみはずして足首をひねった。ギクッときた。
門の扉がくさってあぶなくなったので、前の日にアルミの門にとりかえたのがまずかった。扉の位置がかわったし、またぐこともいらなくなった。かってがちがったせいで、ヘマがおきたんだ。
ボクは、朝食にスカベンジャーもやっている。だから平気でタクシーにのりこんだ。
十時から十二時までが勉強の時間だ。なにをやったかおぼえていないが、どうせ健康か栄養のことなんだ。クローンだの散逸構造だのいうようなシャレたことをやるはずがない。
会議室へ料理をはこんでもらって昼食をとって、かいさんした。ボクは娘と札幌からきたS君といっしょにタクシーで家にかえった。
そのあとはたぶんS君の質問にこたえて時をすごしたのだろう。S君は質問魔なのだ。それだけ熱心だ。かれはその夜はボクの家にとまることになっていた。夕食をやらなければならん。
夕食はYというそば屋でやることになった。S君をくわえて娘一家と車にのりこんだ。こんどはぶじに門を通過した。
Yについて車をおりるとき異変がおきた。右足首がいたいんだ。柱につかまって足をひきずりながらざしきにすわった。
かえりの車にたどりつくまで、ボクはS君の肩に手をかけていた。かかとを下につけるととびあがるほどいたいんだ。
家についてからはますますひどい。ふろをやめて、げんかんからベッドに直行だ。こうなっては一人前のけが人だ。
ボクはスカベンジャーをのんでねてしまった。八時までぐらいだったろう。
よく朝、ボクはいつものとおりベッドをおりた。足の痛みはこれっぱかしもない。まったくふつうに歩けるんだ。捻挫の自覚は一時間ほどですんだってことだ。
この経験からぼくのスカベンジャーの有動時間を十時間ほどとみつもった。
本原稿は、1994年6月3日に産経新聞に連載された、三石巌が書き下ろした文章です。