ここまでくるあいだにビタミンCの働きがいくつもでてきた。意外じゃなかったかな。
じつは、どのビタミンにも複数のやくめがある。ボクがメガ(大量)ビタミン主義をまもっているのは、そのことをよく知っているからなんだ。
ビタミンは微量栄養素だから、ちょっぴりあればじゅうぶんだ、と思っている人はざらにいる。いまはちがうけれど、わかいころのボクは野菜や果物をたっぷりくっていた。むかしの食事のスタイルはそれがふつうだったんだ。それなのにビタミンCのけつぼうにやられた。それで白内障はおきたが、壊血病はおきなかった。そのことをキミはどう思う?
これは大きな問題じゃないか。ボクはこの問題にチャレンジしたんだ。
そのころ家内はやたらにカゼをひいた。なおってもすぐにまたクシャンクシャンだ。そのことをキミはどう思う。ライナス・ポーリングの考えをわすれたわけじゃあるまいな。これもビタミンCのふそくってことになるだろう。ただし、そのころボクはまだビタミンCとの関係などおもってもみなかったがね。
おなじビタミンCぶそくでも、ボクはそれほどひんぱんにカゼをひきはしない。家内の目はいたってよくみえる。ふたりとも壊血病のケはぜんぜんない。
これはどういうことなんだろう?
ふたりともビタミンCの摂取量はゼロであるはずがない。とすると、ボクのばあいビタミンCは、白内障をふせぐのをあとまわしにしてカゼをふせぐほうを優先したってことになるだろう。家内のばあいはその逆になる。
ボクのアイディアはこうだ。
頭のなかにカスケードを考える。カスケードとは段々になっている滝のことだ。滝といえばながれおちるのは水だが、空想となれば何だってながせる。それが空想のいいところだ。ボクはビタミンの流れを考えた。
ながれおちる段には穴があいているとするんだ。ビタミンCはその穴にながれこむ。そこで仕事をする。仕事はなんだっていい。水だったら水車をまわすところだが、ビタミンCで水車をまわすって話は通りがわるい。ただ、水車をまわしてなにかの仕事をするっていうのなら、はなしはとおる。
そうなればビタミンCの仕事のレパートリーを思いうかべたらいいわけだ。白内障の予防、カゼの予防、いろいろあったろう。
本原稿は、1994年3月18日に産経新聞に連載された、三石巌が書き下ろした文章です。