前回書いた米国の科学者、ライナス・ポーリングを知らない人のために一言しておく。かれは「さらば風邪薬」という本のなかで、ビタミンCがカゼにきくことを力説している。ビタミンCで地球上からカゼを追放したいって大きな夢をもつ巨人だ。
メガ(大量)ビタミン主義の旗手でもある。
ボクのつかったビタミンのアンプルは、Cが二百ミリグラム、B1が百ミリグラム、B2が二十ミリグラムだった。スキーでものをいったのは、たぶん百ミリグラムのビタミンB1だったろう。
そのうちに家内が乳がんをやった。手術がすんでから、ボクはこれにB1とB2とを毎日注射することにきめた。手術後、八〇%の人に腕のはれがおこると聞いたからだ。はれの原因は乳酸だろうから、乳酸の発生をおさえるのにB1やB2がやくだつだろうっていうのが、ここでの理くつだ。
ボクの勘はあたった。腕はぜんぜんはれないんだ。
ところが、こまったことがおこきた。ビタミンB1の百ミリグラムアンプルの製造が中止になった。どうも東大の講師の本と関係があるらしいと思った。そこにはビタミンB1がよくないようなことが書いてあったからだ。アンプルは二十ミリグラムのものになっちゃたんだ。
家内の腕はだんだんふとくなった。その後、どういう風のふきまわしか、ビタミンB1の五十ミリグラムのアンプルが売り出された。しかしこれはあとのまつりで、腕の症状はすすむばかりになっちゃった。
だからといってボクは、その本を書いた講師をうらんじゃいない。かれに悪意があったわけじゃないからだ。完全な人間なんかどこにもいやしないじゃないか。
ところで遺伝子DNAのながいひもは、いくつかの糸巻きにまきついている。染色体とはこのことだ。さいきんの新聞に、遺伝子地図がほぼしらべあげられたとあった。目のタチがわるいとすれば、それが地図のどこをみればいいかのけんとうがつくってことだ。
その部分のDNAをきりとってタチのいいDNAととりかえっこができればいいが、そんなことはむりだ。目玉の細胞をひとつのこらず手術しなければならないわけだからな。
本原稿は、1994年2月25日に産経新聞に連載された、三石巌が書き下ろした文章です。