ボクはじぶんが白内障になったのは、目玉のあたりの血のめぐりがわるいんじゃなくて、レンズが人なみよりぜいたくにビタミンCを消費しているためだと考えた。
これがあたっているかどうかは知ったことじゃないが、とにかく、ビタミンCの必要量が人によってちがうっていう個体差の問題をここでしっかりつかまえたと思った。
だがしかし、どうして個体差ができるのか、その説明はできずにいたんだな。
その説明がつくまでに二十年ぐらいの時間がかかっているんだ。
ボクがとりあえずやったことはビタミンCをたっぷりとることだ。そのときボクは、野菜や果実を食うことは考えなかった。ビタミンCの製剤を注射することにした。注射なら量も吸収もうけあいだ。
ボクは考えた。どうせ注射するなら、ほかのビタミンもまぜて大きな注射器でやろうってことだ。痛いなんてことを問題にするようじゃ何もできはせん。
大きな薬局へいってみると、ビタミンのアンプルがずらりとならんでいた。ビタミンCのほかに、無色のB1 、黄色のB2 、緑色の葉酸、紅色の B12 、褐色のK。
ビタミンCのふそくがあったんだから、ほかのビタミンのふそくもないとはいえないと考え、結局、ボクはそのぜんぶをやることになったンだが、さいしょはCとB1とB2の三つにしぼった。
注射はむろん毎日やるかくごだ。そのころは、いまとちがって使いすての注射器なんてものはなかった。注射器は針のついたまま、なべにいれて熱湯で消毒しなければいかん。やっかいな話だ。
ボクは注射のやりかたをいぜんから知っていた。医者におそわったことがあるんだな。
母がボケぎみで寝たきりになっていたころ、心臓発作をおこした。そのときボクはすぐにカンフルをうった。するとたちまちおさまった。ボクはカンフルまで用意していたんだな。
メガ(大量)ビタミン主義ってことばがある。ボクはこのときからメガビタミン主義者になったわけだ。ゆうめいなライナス・ポーリングより二年ほど早かった。
じつは、ビタミンの大量注射をやっても、べつに何ということもなかった。ただ、スキーにいってみると、ごりやくはてきめんだった。いくらすべっても筋肉のつかれは感じられないんだな。
戦後、スキーを再開したのは六十五の年だ。
本原稿は、1994年2月18日に産経新聞に連載された、三石巌が書き下ろした文章です。