「学問のすすめ」
おしなべて学問と呼ばれるものは、人類の知的生産の結晶である。
人間の知の証である。
それは、数万年、数十万年の蓄積である。
そして、今われわれは二一世紀への展望を迫られている。
そこでは、人類の知がためされている。
われわれはここで、学問の総力を結集して事に当らなければならない。
われわれに求められているものは、知であり、学問であり、科学であり、哲学である。
一八世紀のヨーロッパは啓蒙思想が現れて、学問のすすめを説いた。
一九世紀末の日本では、福沢諭吉が『学問のすすめ』を著した。
学問のすすめの意義は、いかに声を大にしてもすぎることはない。
この声は、次の世紀に向けて次第に高める必要がある。
新聞・雑誌も、ラジオ・テレビも、顔を洗って出直してはどうか。