✈ 「お花のある暮らし」で作る自分史 ①
以前、「本・読書録で作る自分史」
という記事を書き、「本」という
切り口から自分の人生を振り返った
ことがあります。
今回は「お花」という切り口から
自分の人生を振り返ります。ʕ •ɷ•ʔฅ
「本を通して自分の世界観を作る」
読書録を通して自分の嗜好や成長を
確認し、自分の世界観について知る
機会になりました。
お花活動もかなり深いです。
文化、精神、環境や人生観などの
視点から、世界が広がっています。
✿ ✿ ✿
□ 保育園時代(4〜5歳頃)
道に咲いている「たんぽぽ」や
「ハルジオン(貧乏草)」など
野草に触れることが多かった。
野外で遊ぶことが多かったので、
「白詰草」などで花冠を作ったり
して遊んだ記憶があります。
□ 小学生低学年(6〜8歳頃)
夏休みか何かの宿題で「朝顔」を
育てて観察日記を書きました。
「金木犀」で香水を作ったり、
白粉花の種で白粉をとって化粧を
して遊んだのもよい思い出です。
□ 小学生高学年(9〜12歳頃)
学校で稲をもらって育てました。
授業で稲作について学び、実際に
自分たちでも育てるという内容
だったかと思います。 (๏㉨๏)
鉢植えで育てたので、食用にする
ほどの量は穫れませんでした。
お茶碗一杯のご飯をたくために
多くのお米が必要なことを知り、
農家の方々へ心からの尊敬と
感謝の気持ちが湧きました。
いま思うと、とても素晴らしい
授業でした。貴重な経験です。
友人たちと冒険と称して、
自然のあるところにいき、山や
林?を散策したり、様々な植物を
観察しました。
銀杏とか栗拾いをしたのもよい
思い出です。自然に育っている
野いちごを見つけて食べたりして
遊んだのも、昔ならではですね。
毒があって食べれないものもある
ということを知り、その見分け方
も学びました。
いけばなを習いました。
子ども向けのお花のクラスが
あったので、入ったのです。
どのぐらい通ったか忘れました。
□ 中学時代(13〜15歳頃)
お花の活動・・
ほとんど記憶にない。陸上部の
活動を中心に生活していたため、
お花を生けたりすることは
あまりなかったのではないかと
思います。
家でお花を飾っていましたが、
母が生けていた気がします。
たまに私が生けたりすることは
あったかもしれません。
鉢植えでハーブを育てたりした
記憶もうっすらありますが、
植物を枯らせてしまうことが
多かったようにといます。 ʕ -ᴥ-ʔ
□ 高校時代 (16〜18歳頃)
家で母の代わりにお花を生ける
ことが増えたと思います。
花をよく買っていたことは、
想像できるのですが・・。
友人たちと「お花を生ける」
ワークショップをしたことが
あります。初めて自分で企画し
運営したワークショップだった
と思います。
□専門学校時代 (19〜20歳)
ビジネスの専門学校では、
英語、経済や貿易などビジネス
の実践で役立つ内容だけでなく
いろいろなことを学びました。
日本文化のクラスとして華道
を習いました。茶道と華道の
クラブがあったと思います。
私は茶道クラブに入ったことは
よく覚えているのですが、
華道と茶道の先生が同じだった
ので、華道クラブにも入って
いたのか、クラスで1年ほど
習ったのか・・どうだったのか
忘れました。流派は「草月流」
というのは覚えてます。ʕ•ﻌ•ʔ
卒業後は継続はしませんでした。
お茶もお花もどちらも好きでした
が、それよりも英語力を磨いて
海外で生活したかったからです。
(*゚ー゚)ゞ
□社会人時代 (21歳〜)
英語力を磨く、海外移住計画に
向けた生活をしていましたが、
趣味でガーデニングをしたり、
お花を生けたりはしました。
あまり覚えていません。(・Θ・;)
アイルランドに住んでいた時・・
念願かなってアイルランドへ。
(詳細は省略)
庭で植物を育て始め、お花を
生けることも増えました。
創作活動もしていたと思います。
あまり覚えていません。
後で追記するかもしれません。
再び日本に住んだ時・・
多分この時期だと思います。
お花屋さんで働くことにも興味が
でてきて、花材の調達、どのような
花材が仕入れられるかなど、
調べたことがあります。
ガーデニングはせず、買ってきた
花材を使って生けていました。
ここまでは、お花を生ける習慣が
あり、たまにガーデニングをしたり
する生活でした。
お花は美しいけれど、枯らすことも
多かったです。ただ生ける。そして
その後の水換えなどのケアを怠って
いたからです。 ʕ -ᴥ-ʔ
長くなってきたので今回はここまで。
次は・・
✈ 「お花のある暮らし」で作る自分史 ②
アメリカ生活でのお花活動を書きます。
本格的に学び始めたので関連記事も
多いです。知識、経験や実践を通して
学びも深まっていることがわかります。
いつもありがとうございます。