わざわざ嫌な気分を選択していないか? | 不完全なままで完全である

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◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

 

生き方を変えたい

人生を変えたい

現実を変えたい

 

 

こう思いながら、案外「自分について」を無視しがちです。

 

「方法」を求めるあまり「自分のこと」について、おざなりになっているのです。

 

 

 

「なんか嫌なことが続く」

 

「望まない現実になってしまった」

 

 

 

このようなことが思い当たる方は、ぜひ『自分が何を感じているのか?』に意識的になってみてください。

 

 

「それってどうすれば?」

 

 

気づけば「自分が何を感じているか?」をチェックする。

これだけです。

 

忘れたら思い出す。

それだけです。

 

 

 

 

ある時、満員のバスに乗っていた私。

 

 

 

降りなくてはいけない停留所が近づいて来たのですが、満員で降車口までスムーズに進めなさそうでした。

 

 

私の隣に立っていた男の子はスマホに夢中。

「次に降りる人がいないかな」なんて気を配っている様子はなし。

 

 

・・・

なんか嫌だな。

この子、周りに気付かないかも!

めっちゃ迷惑

・・・

 

 

↑これは私の妄想劇場。

頭の中の声です。

 

 

その時、ふと気づいたんです。

 

 

『あ、私って<嫌な気分>を感じようとしてないか?」と。

 

 

 

 

人は、嫌なことが起きたから嫌な気分になるのではない。

 

嫌な気分を選んだから、嫌な出来事が起きるのではないか?

 

 

 

満員のバスの中。

そこにいる人たちが、私と同じような妄想劇場をしていたのでしょうか?

 

 

違いますよね。

 

 

何も考えず「あ、次降りないと!!」と思っている人だって多かったはず。

 

「こいつ、気が利かない奴に違いないぞ」なんて思うこともなく、ただ「混んだ車内は降りる時大変だな」とか。

 

ある人は「今日はあの子と何食べよーかなーーー?」とウキウキしていたかもなのです。

 

 

 

しかし、私ときたら・・・(苦笑)

 

 

 

それで、思考の向け方を変えてみました。

 

「この男の子気が利きそう!」

 

 

 

そうしたらね

 

そうしたら、

 

 

 

すごくスムーズに下車することが出来ました!(めでたしめでたし)

 

 

 

男の子が気が利く子だったとか、そうでもなかったとか。

それは分かりません。

 

 

なぜなら、私が気にならなかったからです。

 

 

 

大切なことは、人を変えるのではなく「自分の感じ方が変わること」で、自分の気分が良ければオッケー。

 

 

 

上手い具合に、気分の良さを選ぶことが出来たというわけです。

 

 

 

 

 

『嫌なことが起きるから、気分が悪くなる』のではなく

『気分が悪くなることを選ぶから、嫌なことが起きる』

 

 

 

事が起きる前から、気分の選択は可能であるということです。

 

 

だったら、どんな気分を選びたいのか?

ここを明確にしておく必要があります。

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう!