ゲームであっても思い込みを見つけられる | 不完全なままで完全である

不完全なままで完全である

◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

たかがゲームなのだ。

ゲームだから、もっと自由であって良いのだ。

 

 

前の投稿で書いた66億円ゲーム。

 

その日に与えられたお金はその日に使うこと、というゲーム。

なのに、私は不自由だった。

 

 

最初の数日。

何にお金を使おうか考えた時、まず浮かんだのは「必要なもの」だった。

 

 

洗濯機や掃除機を買う、美容室へ行く、新しい洋服を買う、借金返済・・など。

現実味を帯びたものばかりが浮かんだ。

 

 

そして、一通り「実際に必要なもの」にお金を使ったら(とはいえゲームなので本当は1円も使っていない)、何に使えばいいのか分からなくなってしまった。

 

 

欲しいものがない訳ではない。

「自由な発想」が出来なかったのだ。

制限がありすぎて・・。

 

 

 

これも前の投稿に書いたが

例えば

「旅行へ行きたいけど休みが取れない」

「そんなに洋服ばかり買ってどうするんだ?」

「毎日美容室へ行く必要なんてない」

「旅行、旅行って一緒に行くひとなんていないじゃない?」

 

 

もう頭の中の声がうるさいのである。

「あーー、だからもう!これはゲームなんだよ!!!」

と叫びたくなってしまうほどに。

 

 

ゲームという空想の世界でも自分を縛る思い込み。

現実の世界なら尚更のことだ。

 

 

だけど、もし・・。

実際にお金が毎日10万ずつ増えながら入って来るなら?

 

 

毎日美容室へ行ってもいいんじゃない?

毎日美容室へ行ってはいけない決まりなどない。

だから、行きたいなら行けばいいのだ!

 

 

旅行に関しても「毎月旅行してはいけない」という決まりもない。

毎週末旅行したって構わない。

友達の分まで旅費を出して旅行へ行くことだって出来るのだし。

 

 

それを、私は

「毎日美容室へ行くなんて贅沢だよね」

「友達の分まで払うのってどうなの?」

「服ばっかり買ってどうするんだ?」

「そんな大きいソファ買っても置けないし」

とか色々と思っていた。

 

 

どれも「空想」の世界のことなのに。

 

image

 

 

 

空想の中でも自由に遊べない私は、現実世界で自由である訳がない。

そんなことを思い知った遊びだった。

 

 

制限に気づいたら自分に言った。

「これ、ゲームだから!」

そうしたら、このゲームがどんどん楽しくなった。

そして、気づけば欲しいものが増えて行った。

「楽しいお金の使い方」に目覚め始めていた。