( トリコロールのこのハートは手作りなんだよ )
「なんとなく、そんな気がする」よく、こんな言葉を耳にするし、わたしも言う。
わたしは、自分が感じるこの「なんとなく」というのを物凄く大事にしている。
「なんとなく、そう思う」とか「なんとなく、違う気がする」という感覚だ。
この「なんとなく」は、とても曖昧だ。なぜなら、はっきりとした理由が不明だから。
しかし、これが「直感」なんだ。この「直感」に沿っていれば、わたしの場合大抵スムーズに流れる。
こんなことが、最近になってはっきりとしてきた。最近になって、そこを信じればいいんだ、
と思ったわけなので、少し前までは、この「なんとなく」という直感と、「だけど~」という思いの中で
混乱していた。
直感に対して沸き起こる「だけど~」というのは、自分の本当の思いではなく思考で考えている
思い。そして、これが「自我」である部分なんだ。自我は不安が好き。
だから、「だけど、それはおかしいんじゃない?」「でも、それは止めた方がいいよ」
「ちょっと待って、そんなことすると嫌がられるよ」「だって、前に決めたじゃない」と、
果てしなく、直感に従おうとするわたしを阻止し、理由をつけてなんとか止めさせようとする。
物事にははっきりした理由が必要だ。
長年、こんな風に思ってきたわたしは、「なんとなく」という曖昧なものよりも、明確な理由の
ある方が正しいのではないか?という錯覚に惑わされる。
良いことについても、悪いことについても、わたしたちは自分を正当化するために、
いつもあらゆる思考を駆使して、必要のない「理由」を生みだそうとする。
これでは、本当の気持ちなんて見えてくるはずがない。
理由なんているのか?
ただ、自分の感覚に照らし合わせて、やりたいことをやる。これでいいのではないか。
世界はもっとシンプルだ。しかし、そのシンプルさが豊かさの源であるように思う。
自分の正しさに従う(自分の感覚に焦点を合わせるということ)ことは、
自分の力を信じ、自分を受け入れ、自分を愛していくという大きな一歩に繋がっていく。
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