韓流時代小説 恋慕~秘苑の蝶~小龍は懐しむーお忍びで行った遊廓での再会。二人の運命が再び動き出す | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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韓流時代小説 秘苑の蝶 第二部

  「恋慕~月に咲く花~」

「秘苑の蝶」第二部スタート。
奇跡の出会いー13歳の世子が満開の金木犀の下で出逢った不思議な少女、その正体は?
第二部では、コンと雪鈴の子どもたちの時代を描く。

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 このときだけ、弟の漆黒の瞳が細められた。
ー俺は何も兄上のために忠告しているんじゃない。一度弄ばれただけで捨てられる女官どもがあまりに不憫ゆえ、申しているのです。
 更に、したり顔で言う。
ー男としての責任も取れない輩は、女を抱くのは早いと思いますがね。
 賛はすかさず弟の胸倉を掴んだ。
ー黙って聞いておれば、無礼が過ぎるぞ。
 陽善大君は余裕で、兄の手を払いのけた。口惜しいことに、どれだけ励んだとしても、武術も学問も、賛がこの弟に勝てた試しはなかった。
 弟がすかさず言った。
ー今日、父上とやり合ったその日にまた俺と騒動を起こすのは御身のためになりませんよ、邸下。
 わざと語尾を強調するように言う弟に、賛はふて腐れていった。
ーどうせ、お前が世子になりたいんだろう。こんな地位、欲しければいつでもくれてやる。
 陽善大君の黒瞳がまた狭まった。
ー俺は世子になるのなんて、金輪際ご免ですよ。窮屈なだけで、良いことは何一つない。俺のような遊び人より、真面目な兄上の方がよほど世子にふさわしいと思っていたんですがね、昔は。
 弟はまた声を潜めた。
ーとにかく、少しくらいは俺の忠告を心に留め置いてくれ。さもなければ、本当に世子の地位から引きずり降ろされるぞ。
 弟は言うだけ言うと、何も無かったように悠々と去っていった。
 まったく、腹立たしいこと、この上ない。たかだか十四歳の子どもに、大人ぶって意見されるとは。賛は余計に鬱々した想いで帰路を辿ったのは言うまでもない。
 彼の側では忠実なホン内官がはらはらしながら見守っていた。ホン内官は何事もなく、明らかにホッとしていた様子だ。弟の言葉は悔しいが、的を射ていた。
 父王とあわや取っ組み合いになりかけた直後、また弟とやらかしたら、それこそ、ただでは済まない。父を更に怒らせ、母を哀しませることになる。
 帰り道、賛は物想いに耽った。弟に言われるまでもなく、世子廃位を主張する者たちがこの二年で増えたのは知っている。むろん、世子のあまりの素行の悪さが要因なのだとも判っていた。
 弟に言ったのは本音だ。世子の座が欲しければ、弟に譲るのは少しも惜しくない。むしろ、一国の世継ぎという立場から自由になれたら、思いのままに行動できる。世間体だとか、責任だとか、この世の柵(しがらみ)など糞食らえだ。
 もし世子でなくなったらー。賛はあり得ないことを夢想してみる。花束を持って真っ先に明基の屋敷を訪れる。そして、昌に跪いて想いのたけを伝えるだろう。
 自分たちに向けられる人々の眼は冷たく厳しいに違いなく、男同士の恋愛を理解してくれる者はおるまい。それでも構いはしない。昌さえ、この想いを受け容れてくれたら、彼がずっと側にいてくれるなら、針の筵であろうと茨の道であろうと共に歩くだけの決意はある。
 だが、と、彼の意識はいつもここで現(うつつ) に引き戻される。現状、昌に恋慕の情を伝えるのは不可能だ。二年前、金木犀の咲き誇る季節に出逢って以来、賛は金明基の屋敷には一切、脚を向けていない。
 もしまた昌に逢えば、自分が何をしでかすか、口走るか知れたものではないからだ。あの時、十三歳であった賛も十五歳になり、少しは責任感というものも持つようになった。
 母の言うように、昌に想いを告げるならば、その先までを見越しておかなければならない。だが、世子という重い立場のままでは、昌に何の未来も約束はできない。
 昏い情熱を秘めた彼の側を、一陣の風が通り抜けてゆく。その中にほのかなかぐわしさをかぎ取り、賛は眼を細めた。
 また、あの季節が来たのだ。夕陽の色に染まった愛らしい花の咲く季節が都に巡ってきたのだ。
 黙々と歩き始めた賛の後を、ホン内官が足早に付いてくるのが判った。

 その日、賛は都の一角、色町にいた。暦が十月に変わってまもなくである。色町は妓房がひしめいている歓楽街だ。遊廓もピンからキリまであり、賛が贔屓にしているのは最上格の見世であった。
 しかし、その日は違った。賛は友人に誘われて別の見世に登楼したのだ。そこは〝松月
楼〟という名の見世で、いつも上がる最上級ではないけれど、中規模どころの品の良い構えであった。
 友人たちはいずれもが両班の子弟ばかりである。物心ついた砌から選ばれて世子の〝ご学友〟となった者、その者の友人、兄弟と様々だが、揃って名門の子息であるのは変わらない。
 類は友を呼ぶともいうが、まさに放蕩者の世子にふさわしい素行のよろしくない極道息子ばかりだ。遊興に耽る世子をたしなめるどころか、迎合して一緒に遊び回る連中なのだ。
 もとより身分は伏せているものの、身なり、佇まいからして、相応の金持ち、または上流両班の御曹司だと知れている。遊廓の女将はもう今にもひれ伏さんばかりに愛想が良かった。
 登楼するなり二階の大広間に通され、下にも置かないもてなされぶりだ。賛を上座に、友人五人が賛を中心とするように横二列に並ぶ。各々の前には酒肴の並んだ小卓が置かれている。
 二列に居並んだ友人たちの前では、艶やかな妓生二人が優雅に舞っている。室の片隅では、更に二人の妓生が伽耶琴(カヤグム)と太鼓を奏でていた。