【道長が娘彰子に敦康親王ー皇后定子の遺児を養育させた理由】一条天皇と定子の妹の仲を裂くためだった | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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皆様、こんにちは。

 

  当地は少しですが、夕立が降りました。

 

  これで少しは涼しくなると良いのですが、、、

 

 

 

 

 

  さて、今日のオススメ動画は、大河ドラマ「光る君へ」関連となります。

 

  塩谷瑛久さん演ずる一条天皇、イケメンですね😍

 

  もう、お亡くなりになってしまいましたが、高畑充希さんの定子様と

 

  お似合いのカップルでした。

 

  美しい二人が並ぶと、まさに眼福といったところでした。

 

  さて、皇后定子は待望の皇子を授かったものの、運つたなく

 

  哀しい辞世の句を残し、この世を去ります。

 

  後には、まだ幼い三人の御子が残されました。

 

  特に末子の媄子内親王は、生まれながらに母親を知りません。

 

  流石に、女院詮子様も、母を失った幼い孫たちを憐れに思し召したのでしょう。

 

  媄子内親王は詮子様に引き取られ、養育されることになりました。

 

  ただ、この媄子内親王、幼くして亡くなっています。

 

  まるで定子様の後を追うような夭折に、何とも哀しいものを感じます、、、

 

  そして、長女の修子内親王、長男の敦康親王については

 

  定子の妹「御匣殿みくしげどの」に養育されることになりました。

 

  定子が生前、妹に子どもたちのことを託していたともいわれています。

 

  しかし、道長は半ば強引に敦康親王を御匣殿から引き離し

 

  娘彰子の手許で育てさせることにします。

 

  これについては、前回、お話しさせて頂きました。

 

 ☆

 

 

 

  道長はまだ幼い彰子が「皇子を産む」までの一時的な「保険」として

 

  一条天皇の唯一の皇子である敦康親王を自分の陣営に取り込んだわけですね。

 

 ですが、、、

 

 道長が敦康親王を強引に御匣殿から奪ったのには、他にも理由がありました。

 

 その理由というのは、

 

一条天皇と御匣殿の仲を引き裂くため

 

  であったともいわれています。

 

一条天皇は皇后定子の亡き後も、妻のことが忘れられませでんでした。そのため、最愛の妻が遺した我が子たちの顔を見るために、頻繁にみくしげ殿の元を訪れていたのですね。彼女は隆家の四女で、定子とは同母妹になりますから、定子に似ていたとしても不思議はありません。
そのため、定子をいまだ忘れ得ぬ一条天皇が定子の妹に惹かれていったのもごく自然な流れとしては理解できますね。
みくしげ殿は、やがて懐妊します。姉妹で揃って一条天皇の御子を妊娠したわけです。高貴な方、昔には珍しいことではないとはいえ、やはり、現代に生きる私から見ると、「手当たり次第」、「後先考えず」といった男性側の短絡的な態度には首を傾げたくなります。
何故、定子が若くして亡くなってしまったのか? 帝はそのことについて考えてみたのでしょうか。道長が定子を直接殺したわけではないですが、時の権力者である道長はとにかく愛娘彰子のライバルである定子を徹底的に追い詰めました。それらがして定子の心身を消耗させ、立て続けの三度のお産が更に定子の体力気力を奪ったことは否定できません。今また定子の妹を寵愛すれば、しかも懐妊させたとしたらー。またしても道長に眼をつけられ、定子の二の舞、悲劇が再び起きるとは帝は考えなかったのでしょうか。
定子の妹と関係を持ったー背景として、「亡き妻が忘れられない」といえばいかにもロマンティックで純愛のようですが、客観的にいえば、「男のエゴ」のような気もします。
みくしげ殿は、一条天皇の御子を胎内に宿したまま亡くなりました。つまり妊娠中に生命を落としたのです。そこに道長の関与を窺わせることはないと思いますが、妊娠さえしなければ、亡くなることもなかったかもしれません。
話を元に戻します。道長が強引に敦康親王を彰子に引き取らせた一つの要因として、この定子の妹と一条天皇の仲を引き裂くためであったーという見方があるのは事実です。
ですが、たとえ敦康親王がいなくなったとしても、まだ修子内親王がいますし、御子がいなかったとしても、女性に逢うためだけに帝が彼女の元を訪れることはあるはずです。
なので、二人の仲を裂くためという理由は、現在ではあまり信憑性があるものだとは考えられていないようです。
恐らく大河ドラマでは、若くして亡くなったこの定子の妹君は出番はないのだと思います。「大人しくて控えめな女性」であったというこの姫君、もしかしたら顔かたちは定子に似ていても、性格は反対だったのかもしれません。
いずれにしても、一条天皇に見初められたそのときから、妹君に哀しい運命は決まったということなのでしょう。願わくば、この儚い人生を生きた姫君の方も帝を恋い慕っていたと思いたいところです。二人が互いに想い合っていたというなら、まだ、妹君も幾らかは救われるような気がします。あくまでも、これは私の感傷にすぎませんが。。。