韓流時代小説 秘苑の蝶~龍は差し招くー彼を傷つけてまで選んだ別離。だからこそ無事出産しなければー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

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「馬尚宮、ありがとう」
 思わず両手を回して馬尚宮を抱きしめると、馬尚宮が愕いたように声を上げる。
「まあまあ、もうすぐお母君におなりになる方が幼子のようではありませんか」
 慈愛に満ちた笑顔に、ますます涙腺が緩んでくる。
「あなたはいつも私を教え導いてくれる。後宮でのお母さんのようね」
 馬尚宮もまた泣き笑いの声で応えた。
「いつかも尚宮さまは同じようなことをおっしゃって下さいましたね」
 この心優しい頼もしい女性に救われたことは、これが初めてではない。雪鈴は、うんうんと頷きながら、馬尚宮の腕の中で涙を流した。
「私はいつでも尚宮さまのお側におります。たとえ世界中があなたさまの敵になろうと、私は絶対にあなたさまのお味方です」
 何とも心強い科白だ。馬尚宮が微笑んで、雪鈴の頬を流れ落ちる涙を手巾で拭ってくれる。
 窓を通して差し込む月明かりは、満月のせいか、いつになく明るい。月光が抱き合う主従の姿を包み込むように照らしていた。

 心に愁いを含んでいても、月日は淡々と流れゆく。雪鈴はその日を境に、少なくとも自身の健康にだけは注意するようになった。三度の食事は欠かさず食べ、適度な運動も怠らない。
 その変化を何より歓んだのは、やはり馬尚宮に他ならなかった。
 居室に閉じこもりがちだったのが積極的に外に出るようになった。馬尚宮に諭されてから、朝の一刻、庭園を散策するのが日課となった。
 その年が終わり、新しい年を迎えた。王宮は新王即位後初めての正月ということもあり、新年行事が続き華やかな雰囲気に包まれた。
 雪鈴の腹の御子は順調に育ち、既に八ヶ月を迎えていた。
 その日、雪鈴はいつものように馬尚宮だけを連れ、秘苑に出掛けた。外は身を切るような真冬の寒さだけれど、陽の光は随分と暖かさを増したような気がする。人の心とはおかしなもので、新年が来たというだけで何か春めいてきたような心もちがする。
 雪鈴は今、秘苑の最奥部ー蓮池のほとりにいた。元々、王宮の庭園は自然の山地をそのまま利用して作られている。当然、蓮池も端からここに存在したものだ。
 巨(おお)きな湖面の一角に四阿(あずまや)が設けられている。唐風(からふう)の極彩色に塗られた屋根は反りが優美で、遠目に見ると四阿が水面に浮いているように見える。建物の周囲は吹き抜けになっており、湖を真正面に臨む奥手は腰掛けられる仕様になって、絹製の分厚い座布団が幾つも重ねられている。
 王宮庭園に入れるのは、国王、王妃、妃嬪、女官宦官のみだ。王族であっても、王の許可なくして入れない。ここが〝秘苑〟と呼ばれるゆえんである。
 とはいえ、女官内官は、この四阿には立ち入れない。ここに入れるのは王族のみである。四阿は貴人がいつ訪れても良いように、居心地良く整えられているのだ。
 妊娠八ヶ月といえば、かなり腹部は大きく膨らみ前方へ突き出ている。最近では大きくなったお腹のせいで、足下が見えず危ないことこの上なかった。馬尚宮にたしなめられるまでもなく、一人で出歩くことはしなくなっている。
 腹の子はかなり育ったとはいえども、まだ胎外に出て育つ可能性は極めて低い時期だ。今、我が子を守れるのは母たる雪鈴しかいない。
 大きく突き出たお腹を抱えての散策は、身軽なときの数倍、時間も体力も要する。最奥部の四阿まで辿り着く頃には、雪鈴はすっかり呼吸(いき)が上がっていた。へたり込むように座布団の上に腰を下ろすと、ホッとする。
 馬尚宮は四阿内には入れないので、入り口付近で待っている。雪鈴はしばらく座って呼吸を整えた後、立ち上がった。
 湖全体を見晴るかす正面まで歩き、欄干に手をついて深呼吸する。湖面を渡って一月の風が頬に吹き付ける。ここまで歩いてきて火照った身体には、かえって真冬の寒風が心地良かった。
 巨大な湖を埋め尽くすのは、枯れ蓮だ。夏には湖面を埋め尽くした薄紅、或いは純白の蓮花は当然ながら、どこを探してもない。代わりに水面に浮かぶのは茶色く変色した花托や茎ばかりである。
 都漢陽の冬の厳しさはつとに知られている。この厳寒の季節、朝には霜が降りる。今もまだ溶け残った霜が枯れ残った蓮花をうっすらと白く飾っている。夏の盛りの満開の時期が美しいのは言わずもがなだけれど、冬のこの季節、白く染まった一面の枯れ蓮もまたそれはそれで風情がある。
 湖面は真っ青で、蒼色の絵の具をぶちまけたように染まっている。蒼色の水面に粉砂糖をまぶした菓子のような花托が所々浮かんでいるのは幻想的な美しさがあった。
 大気も澄み渡り、冬特有の清々しさだ。ピリッとした、思わず背筋をしゃんと伸ばしてしまいそうな引き締まった感覚が雪鈴は好きだった。百花繚乱の春たけなわ、秘苑は極楽もかくやとばかりの美しさに彩られる。
 しかし、咲く花も乏しく、わずかに紅椿だけが鮮やかさを際立たせる冬の庭園は凜然とした高雅な雰囲気を見せてくれるのだ。まさに春の華やかな秘苑とは対極にある美といえよう。
 この極寒の中、しかも早朝に出歩く物好きは少ないと見え、周囲には人影も見当たらない。そのため、余計に真冬の静謐さが際立っていた。