韓流時代小説 秘苑の蝶~龍は冷たく笑むー夜空の月はあの男に似ている。愛する人はこの国の王だから | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

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 考え出したら、キリがない。雪鈴は重い溜息をつくと、そろそろと夜具から抜け出て窓辺へゆく。馬尚宮の気遣いか、薄紅色の帳はすべてきっちりと降ろされていた。雪鈴は帳を無造作に脇へ引くと、障子窓を開け放つ。
 途端に秋の終わりの夜気が室内に忍び込んできた。陽が落ちれば、急速に気温は下がる。
 それでも雪鈴は身を乗り出すようにして、窓辺から空を見上げた。紫紺の空には星々がまたたき、円い月が浮かんでいる。雲もない美しい月夜であった。
 つと手を伸ばしてみる。今夜は満月なのか、ほぼ完璧に近い銀灰色の月は表面の複雑な文様まで克明に見える。こうして手を伸ばしたら、夜空の月すら手に取れそうなほどに近い。
 雪鈴は飽きもせず、夜空の月を掴むかのように幾度も手を握ったり開いたりした。
 けれど、月は掴めなかった。当たり前だ。
 地上のすべてを照らす月は、この世のものとも思えないほど神々しい。夏の月と違い、冷たい透き通った光を放っている。
 夜空に浮かぶあの凍えるように美しい月は、あの男に似ている。あの男も同じ宮殿内にいるのに、手を伸ばしても掴むことはおろか触れることもできない。
 雪鈴はしばらく憑かれたように月を眺め続けた。いかほど経過した頃か、馬尚宮の素っ頓狂な声が背後で上がり、雪鈴は初めて我に返った。
「尚宮さま、何をなさっておいでですか。幼子でもあるまいに」
 馬尚宮が飛び込んできて、大急ぎで窓を閉めた。
「室が冷え切っております。身重のお身体に冷たい夜気は良くないとあれほど申し上げておりますのに」
 馬尚宮は雪鈴の小さな手に触れ、嘆きの声を上げる。
「こんなに冷えてしまわれて」
 馬尚宮は自らの手に雪鈴の手を包み込み、懸命にさすり続ける。まるで自らの生命の温もりを分け与えるかのようだ。
「よろしいですか、尚宮さま」
 いつになく言い聞かせる口調は、幼い頃、母や乳母から説教されたときと似ている。思えば、あの頃はこんな日が来るとは想像もしなかった。最初の良人にわずか数日で死に別れ、鬼のような義両親から殉死を強要された。あのときから、良人ハソンの突然の死から、雪鈴の波乱に満ちた生涯は始まったのだ。
 コンという生涯の想い人にめぐり逢えた幸せな日々も束の間、またしても残酷な運命に引き離され、今、自分はここ(王宮)にいる。
 あの銀蝶が導きの蝶なのだとすれば、問いたい。
ー教えて、私はどこに行けば良いの? 私はこれから、どうなるのー。
 残酷な宿命に翻弄され、流れ流されて辿り着く先はどこなのかー。
 ゆっくりと面を上げたその先に、馬尚宮の真摯な面持ちがあった。馬尚宮はなおも自らの両手で雪鈴の冷え切った手を温めながら言った。
「尚宮さまのお立場がとても複雑なものであることも、お辛いものだとも私は少しは理解しているつもりです。されど、尚宮さまのお身体は、あなたお一人のものではありません」
ーそんなことは判っている。
 誰もが口を揃えて同じことを言う。
ーお腹の御子さまはこの国にとって大切な和子さまです。
 確かにそうだろう。新たに立った王であるコンに御子がいない現状、雪鈴のお腹の子は唯一の希望だ。だから、身体をいとえ、大切にしろと皆は言うのだ。
 もう、聞き飽きた。雪鈴が反論しようとすると、馬尚宮は怖い顔で首を振った。
「私めの話を黙って、もう少しお聞き下さい」
 それでも、彼女は雪鈴の手を温めるのを止めようとはしない。
「多分、尚宮さまは誤解していらっしゃるようなので、先に申し上げておきますが、私は何も尚宮さまのお腹の御子さまがお世継ぎだからと申し上げているのではありません」
 雪鈴が眼をまたたかせた。必死で雪鈴の手を温め続けてくれている馬尚宮の顔は見えない。
「私が言いたいのは、尚宮さまはもうご自身のことだけ考えていれば良いわけではないということなのです。よろしいですか、あなたさまはもう、お母君なのですよ? 母親というのは自分の身より我が子を優先するべきものです。そして今、御子さまはまだ生まれてきても健やかに育つことはできません。言うなれば、あなた以外に御子さまを守れる方はいないのです。ですゆえ、どれほどお辛くとも、ご自身のお身体はいとわねばなりません。それはご自身のためではなく、御子さまのため、母として当然の務めなのです」
 雪鈴の胸に熱いものがこみ上げ、涙の雫となり白いすべらかな頬をつたった。
 馬尚宮はやっと雪鈴の手を放し、その場に両手をつかえた。
「私としたことが、どうぞお許し下さいませ。尚宮さまにご無礼を致しました」
 雪鈴の声が震えた。
「馬尚宮ー」
 私はどこで間違っていたのだろう。馬尚宮のまさに言う通りではないか。自分の哀しみにばかり気を取られ溺れ、自分は不幸だと嘆き続けてきた。
 けれど、我が身はもう母親なのだ、馬尚宮の言葉は道理だった。今はーせめて子が無事に生まれるまでは自分の不幸を嘆くよりは子のことを考えねばならない。
 自分は何て子どもで、身勝手だったのだろう。そう思うと泣けてくる。次々と涙が溢れ出し、頬を濡らした。
 馬尚宮が優しく微笑む。その微笑は、殉死はしたくないと訴えた雪鈴の手をやんわりと突き放した実の母の記憶にあるそれより、よほど優しく温かいものだった。