韓流時代小説 秘苑の蝶~龍は冷淡にー雪鈴を見つめる王コンの酷薄な視線は、吹雪の夜のように冷たくー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~ 【秘苑の蝶】

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

******************

「ーさま、尚宮さま(マーマニム)」
 我を呼ぶ馬尚宮の声がやや強くなり、雪鈴の意識は漸く現(うつつ)へと戻ってきた。
 緩慢な仕草で首だけをねじ曲げる。
 馬尚宮の案じ顔に苦笑が浮かび、優しい声音で言った。
「風が出て参りましたゆえ、窓は閉めましょう」
 馬尚宮が近づき、窓を閉めようとする。また強い風が吹き込んできて、窓の両脇に寄せた薄紅色の帳(とばり)を揺らした。
 手早く窓を閉める馬尚宮を眺めるともなしに眺め、雪鈴が呟いた。
「もう、秋も終わりね」
 馬尚宮は何か言いたそうにしたが、結局、何も言わなかった。もとより、返事を期待していたわけではない。雪鈴は淡い微笑を浮かべた。
「自然は雄大だわ。花は時期が来れば咲いて、盛りが過ぎればまた散る。そうやって、生命の営みを際限なく続けるの。でも、私たち人間は一度しか花を咲かせられない。いいえ、一生に一度も花開くことなく散る人生だってある」
 馬尚宮は胸をつかれたような表情だ。雪鈴が言う一度も花開くことなく散る人生というのがそも誰を指しているのか察せられたからだ。
 彼女は敢えて明るい声音を装う。
「尚宮さまはまだ十代のお若さではありませんか。私のようなとうに盛りを過ぎた年寄りであればともかく、尚宮さまはまだまだ、これから幾度も花をお咲かせになられましょう」
 現実には良人に先立たれ寡婦となった王の側室に未来などない。だが、いかに何でも、この場でそのような残酷な現実を口にできるはずもなかった。
 ふと雪鈴が白い指先を伸ばし、床から何かを拾い上げた。よくよく見れば、ひとひらのわくら葉である。紅葉した楓の葉は、血のように鮮やかに染まっている。雪鈴の肌の白さと紅葉の赤さが鮮烈なほどの対比を見せていた。
 馬尚宮が小首を傾げた。
「この近くに紅葉はありませんが」
 雪鈴がひそやかに笑った。
「秘苑から風に運ばれてきたのかもしれないわね」
 馬尚宮がなるほどと頷いたその時、室の外ー廊下越しに女官の伺いを立てる声が聞こえた。何があったのか、声に狼狽が混じっている。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)がお見えです」
 雪鈴は馬尚宮と顔を見合わせた。先触れもない突然の来訪に愕きよりも戸惑いが大きい。
 心の準備をする時間もなく、扉が外側から開く音がした。国王直祖が入室してきたのだ。大股で控えの間を横切り、控えの間にいた女官たちによって室の扉が開けられるや、迷いのない足取りで居室に足を踏み入れた。
 雪鈴は即座に立ち上がり、上座を国王に譲った。自身は脇に寄って、深く頭を垂れる。馬尚宮も主人に倣った。
 王は当然のように文机を前にして座椅子(ポリヨ)に座る。雪鈴は文机を間に下座に陣取った。ただし、王その人とは、いささか不自然なほどに距離が空いている。王はそのことに気づいているようで、端麗な面にはさざ波ほどの微細な変化があった。
 が、わずかな変化はまたたきの間にすぎず、すぐに巧妙な仮面の下に隠れた。
 王は鷹揚な物言いで言った。
「ソン尚宮におかれては、ご体調の方はいかがですか?」
 随分と他人行儀な言い様だ。しかし、今の二人の関係では、これが正しいのだ。そう思う傍ら、雪鈴は哀しくなる。
 コン(王)が踏み込んで近づこうとすれば困るし逃げだそうとするのに、もう一方で近づいてきて欲しいと願ってしまう。自分でも、心のありかが判らない。
 と、王はふいに思いもかけないことを口にした。
「私のような者がソン尚宮を差し置いて上座に座って良いものかどうか、思案に迷うところです」
 雪鈴の前では自分を〝俺〟と呼んでいた彼が今、初めて〝私〟と呼んだ。もしや雪鈴が意識して彼との距離を取ろうとする必要もなく、彼の方もまた雪鈴と距離を置きたいのかもしれない。そう思ったときの衝撃は計り知れなかった。
 雪鈴は茫然として王を凝視(みつ)めた。
「ー」
 彼が何を言いたいのか判らない。国王という至高の立場であれば、雪鈴が席を立つのは当然なのに。
 王は心もち首を傾け、美しい双眸を眇めた。
「ソン尚宮は先王殿下の後宮で、私には母上に当たる方ですから。子が母より上に座るというのは礼節にもとる行為ではありませんか、《母上》」
「ーっ」
 雪鈴は衝撃のあまり、返す言葉もなかった。
 最後に〝母上〟と呼んだときの彼の瞳を見るが良い。底冷えのする冷たさは最早、酷薄とさえいえた。いまだかつてコンが自分をあんな凍てつく吹雪の夜のような眼で見たことがあったろうか。秘苑で再会したときでさえ、ここまで冷たい眼ではなかった。
ー私は、あなたの母ではありません。
 咄嗟に喉許まで出かかった言葉を辛うじて飲み下し、精一杯の笑みを貼り付ける。
「この朝鮮で唯一無二のお方にそのようにおっしゃって頂けるとは畏れ多いことにございます」
 今度は王が息を呑む番であった。恐らく王は雪鈴がもっと動揺を露わにすると思っていたのだろう。だが、雪鈴は我ながら褒めてやりたいほど上手く心の波立ちを隠しおおせていた。