第四話 韓流時代小説 夢の途中【秘苑の蝶】 後編
～王と世子（コン）の間で揺れる雪鈴の心。そんな中、承恩尚宮ソン氏の懐妊が発覚し～
国王陽祖に召し上げられた雪鈴は、後宮入りし、承恩尚宮となった。21歳も若い娘のような雪鈴を熱愛する陽祖。
一方、文陽君ことコンは愛する想い人を突然、王に奪われ、嫉妬で鬱々とした日々を送る。そんな中、世子冊封の儀式が行われ、コンはついに正式な東宮となった。
コンはまだ雪鈴が一方的に別離を告げたのは、自分の前途を思い身をひいたのだと考え、何とか雪鈴の本心を確かめたいと思っている。しかし、「王の女」である雪鈴と世子であるコンが二人きりになれる機会など、あるはずもなかった。
だが、秘苑と呼ばれる王宮庭園の奥深く、二人は運命的かつ皮肉な再会を果たす。
更に、導きの蝶である銀蝶が雪鈴を導いたのは王妃の居所とされる中宮殿だった。
ー今でさえ正式な側室でもないのに、私が王妃になるなんてありえない。
やはり、銀蝶が未来を告げるというのは自分の思い違いにすぎないと苦笑する雪鈴だったが。
嵐の王宮編、怒濤の展開、後編
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純白で覆われた桁違いに大きな寝台の天蓋には、ありとあらゆる星座が水晶と金糸銀糸でちりばめられていて、見事なものだった。
今は、あの忌まわしい汚辱に満ちた夜でさえ、何故か懐かしい。
いつしか雪鈴の頬を熱い雫が流れ落ちていた。
ー御仏よ、私は一体、誰を憎み、何を恨めば良いのでしょう？
妙見菩薩が体現する北辰の星座は、北極星をも含める。北極星は長い旅路をゆく旅人が方角を知る際の目印となるといわれている。
ならば、今、我が身にどうか生きてゆく道しるべを示し給え。
心で問いかけても、麗しい天人はただ淡い微笑を浮かべているだけだ。
前王は去るにあたり、書き付けを遺している。
ーこれがそなたにしてやれる朕の精一杯だ。
相当に時間をかけて、苦しいのに堪えて書いたのだろう。能書家で知られるはずなのに、書状に並んだ文字は乱れ、掠れていた。
それでも、あの方は最後の力を振り絞って書き上げた。雪鈴にせめてもの誠意を示そうとして。
前王はあの書き付けを自分に万一のことがあれば、必ずコンに見せるようにと言った。けれど、遺言に従うべきかどうか、雪鈴は決めあぐねていた。
前王に報いるためと、コンの前途を思うなら、あの書き付けは永遠に雪鈴一人の胸に秘めて公にはしない方が良いのではないか。そんな想いが膨らみつつある。
陽祖は哀しい宿命を背負った王であった。たとえ男として慕ってはおらずとも、ひととき心通わせたひとでもあった。
また、スチョンは自らが悪者になったとしても、コンの王として進む道が平らかであることをひたすら願った。
前王の、スチョンの想い。様々な人の想いを無下に踏み台にしてまで、この書き付けをコンに見せる意味が果たしてあるのだろうか。
この瞬間、雪鈴の心は迷いなく定まった。
書き付けは、やはり我が身一人の胸に秘めておこう、と。それは彼女がコンと本当に決別したときでもあった。
生まれてくる子が男児であろうと女児であろうと、この子は自分一人で育てる。王子であれば少し難しい面もあるだろうが、コンはこれから迎える王妃や妾妃との間に、たくさんの御子を儲けるに違いない。
この子があくまでも〝前王の忘れ形見〟である限り、王子であっても王位継承争いに巻き込まれる危険性はかなり低いと見て良いだろう。
我が身は子を産み、生涯、権力とは無縁の世界でひっそりと子を育て独りで生きてゆくのだ。それが自分の拘わった二人の王たちのどちらにも報いる道ではないだろうか。
それでもなお、雪鈴は辛くてならず、ひそやかに涙を流した。
コンと結ばれた海辺の一夜には、こんな運命が待っているとは想像だにしなかった。
これは紛れもない現実だ。それでもまだ、夢の途中にいるような気がしてならなかった。
コンとの別離以来、ずっと色のない世界で生きてきた。彼がいなければ、雪鈴の瞳は何も映さず、ただ空疎な景色がひろがるばかりだ。
辛うじて映るすべてが色彩を持たず、色褪せている。あたかも、虚ろな夢のはざまにいるようで、自分が生きているのかどうかさえ疑わしく、三度の食事もろくに喉を通らない。
心配性の馬尚宮が嘆くので、忠実な側仕えを安心させるために辛うじてほんの少しの粥を食している有り様だ。
誰のためにも最善の選択をしたはずなのに、何故、こんなに辛く胸が苦しいのだろう。涙が止まらないのだろう。
立ち尽くす雪鈴の背後で、尚宮が貰い泣きするように、そっと袖で目頭を拭いたのさえ、雪鈴は気づかなかった。
山あいの御寺の刻は静かに、哀しみを孕んで過ぎてゆく。
（後編・了）
※《参考文献》
「韓国の庭 美谷島醇写真集 昌徳宮秘苑を訪ねて」
一九八六年 龍求堂グラフィックス
ローダンセ
花言葉ー変わらぬ愛。光輝。和名は姫貝細工。