韓流時代小説 秘苑の蝶~龍は花を恋うー残酷な運命が二人を引き裂く。雪鈴は王に召し上げられ後宮へー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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第四話  韓流時代小説 夢の途中【秘苑の蝶】  後編

~王と世子(コン)の間で揺れる雪鈴の心。そんな中、承恩尚宮ソン氏の懐妊が発覚し~

 国王陽祖に召し上げられた雪鈴は、後宮入りし、承恩尚宮となった。21歳も若い娘のような雪鈴を熱愛する陽祖。
一方、文陽君ことコンは愛する想い人を突然、王に奪われ、嫉妬で鬱々とした日々を送る。そんな中、世子冊封の儀式が行われ、コンはついに正式な東宮となった。
コンはまだ雪鈴が一方的に別離を告げたのは、自分の前途を思い身をひいたのだと考え、何とか雪鈴の本心を確かめたいと思っている。しかし、「王の女」である雪鈴と世子であるコンが二人きりになれる機会など、あるはずもなかった。
だが、秘苑と呼ばれる王宮庭園の奥深く、二人は運命的かつ皮肉な再会を果たす。

更に、導きの蝶である銀蝶が雪鈴を導いたのは王妃の居所とされる中宮殿だった。
ー今でさえ正式な側室でもないのに、私が王妃になるなんてあり得ない。
やはり、銀蝶が未来を告げるというのは自分の思い違いにすぎないと苦笑する雪鈴だったが。
 嵐の王宮編、怒濤の展開、後編。

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     涙雨

 繊細な雨は、女性の吐息を幾つもより合わせたようだ。今、雨滴に濡れる紫陽花を、雪鈴は見るとはなしに見つめていた。当たり前かもしれないけれど、梅雨時の雨は水温む春の頃とも、真冬の厳しさを感じさせる雨とも違う。
 春の雨はどこまでも優しく、冬のそれは身体だけでなく心まで凍てつきそうだ。六月の雨はしっとりと艶を帯びた雰囲気が憂いを秘めた女を思わせ、静かな雨音に耳を傾けていると、静かな雨が心の奥にまで降り込んでくるような気がする。
 季節が少しずつうろつい、ひと雨毎に、紫陽花は色を深めてゆくのだ。ここー同じ場所に佇み、やはり今と同じように紫陽花を眺めていたのは、いつのことだったろう。雪鈴は軽く眼を瞑り、記憶を手繰り寄せる。
 そう、八日だ。たった八日前にすぎないのに、あの日からもう随分と年月が経ったように思えるのが我ながら不思議だった。
 あの日、ここから眺めた紫陽花は淡い紫と蒼だった。今、ふた色の花たちはそれぞれ色を深め、殊に右側は海色に染め上がっている。雨に打たれた花たちはふっくらと手鞠を彷彿とさせ、一枚一枚の細やかな花びらは滴を頂き、さながら宝石のように輝いている。
 この曇天の下でも、その生命の輝きは眩しいほどに雪鈴(ソリョン)の眼を射た。深い蒼に染まった花は、想い人が持つ玉牌を思い出させる。そう、イ・コン。雪鈴がこの世で最も愛し、かけがえのない存在だと思うひと。コンがいなければ、雪鈴は生きてゆけない。
 雪鈴の閉じた瞳に澄んだ雫が溢れ出た。と、軒を、地面を打つ静かな雨音に混じり、聞き慣れた声が耳を打つ。
「雪鈴」
 雪鈴は眼を開いたが、敢えて振り向こうとはしなかった。
 ひそやかな足音が背後で止まった。今、想い人が真後ろにいるのが判る。
 溜息と共に言葉が発せられた。
「もう、顔を見せてもくれないのか」
 雪鈴は視線を動かさず応えた。
「今になって、お話ししたところで何となりましょう」
 また溜息。その場に満ちた雰囲気が更に重くなった。コンはしばらく言葉を探しているようであったが、低い声で問いかけてくる。
「どうしても行くのか?」
 雪鈴は間髪を入れず頷いて見せた。
「はい」
 コンが続けるまでには少しく時間を要した。今度の沈黙は存外に長かった。
「何故だ?」
 雪鈴は唇に軽く歯を立てた。
「コンさまには関係ないことです」
 ボウとしていたせいか、気がつけば耳許で彼の声が囁いていた。いつしかコンは雪鈴の傍らまで近づいていたようである。
「いや、関係なくはない」
 突如、背後から抱きしめられ、雪鈴はハッと息を呑んだ。
「いけません」
 だが、コンは止まらない。雪鈴の細腰に回された両手にはかえって力がこもった。
「ご無体はお止め下さい」
 雪鈴は懸命に腰に回された彼の指を振り解こうとするが、所詮、力で敵うはずもない。
 コンの口調が皮肉げな響きを帯びた。
「無体だと? 笑わせる。俺たちは将来を誓い合っていた許婚も同然の間柄だった。その間に強引に割り込んできたのは国王ではないか。無体をしているのは国王であって、俺じゃない」
 〝王〟の名前が出たことで、雪鈴の心は冷水をかけられたように冷えた。どうか我が声がこの上なく冷たく聞こえるのを祈りながら、言葉を紡いでゆく。
「朝鮮に暮らす限り、何人たりとも国王殿下(チュサンチョナー)のご意向には逆らえません。私は殿下の臣下にすぎない身ですゆえ、王命とあらば行かねばなりません」
 自分でも、空々しい言葉だと思った。何の意味も持たない、空疎なだけの会話。
 鋭い彼がそれを嗅ぎ分けないはずはなかった。
「お決まりの科白だな」
 熱い吐息が雪鈴の耳朶を掠める。雪鈴は渾身の力を振り絞り、彼の腕の拘束を解いた。
 覚悟を決め、コンと対峙する。
「私は既に承恩を頂くと決まっている身です。迂闊なことをなされば、身の破滅を招かれますよ」
 五日前、後宮から尚宮が遣わされ、雪鈴に対して入内の王命が正式に下された。つまり、自分は国王に召し上げられることなったのだ。後宮入りは明日と定められている。この屋敷で過ごせるのも今日が最後だ。
 雪鈴はまた眼を閉じた。コンに谷川のほとりで助けられて以来、ずっと彼の側にいた。彼と共に暮らしたのは実に一年五ヶ月近くに及んでいる。
 その間に様々なことがあった。〝孫雪鈴〟という本来の名を捨て、今は別人として生きている。第二の人生を与えてくれたのもコンその人だった。コンと心通わせ、一時は彼の隣でずっと長いこれからの刻(とき)を過ごしてゆくのだと信じて疑わなかった。
 そう、本当につい八日前までは。
 仮に王と出逢うことがなければ、雪鈴の人生は変わりなく穏やかに流れていっただろう。けれど、彼女は王に出逢ってしまった。
国王が望む女をコンが手許にとどめておくことはできない。たとえコンが世子に内定の身だとしても、この朝鮮で至高の存在、龍の化身とされる国王には及ばない。
 雪鈴の眼にまた熱いものが溢れた。
 叶うなら、コンの側で生きてゆきたかった。これまでと変わらず彼の隣で、彼の笑顔を見つめ、共に花を愛で語り合いたかった。
 けれど。〝王の女〟を望むのは反逆罪に等しい。