第三話 韓流時代小説 夢の途中【秘苑の蝶】 前編
~イ・コンこと文陽君が世子に冊立される?~
地方の田舎町で両想いの恋人として、幸せな時間を過ごしていたコンと雪鈴(ソリョン)。だが、幸せは長く続かず、国王からの王命で、コンは急きょ、都に呼び戻されることになった。雪鈴も彼と共に生まれて初めて漢陽へ赴く。
国王から王宮に呼ばれたコンは、そこで世子に指名されたのであった。
そして、雪鈴はコンに起きた身の激変について知らぬまま、ついに二人して出掛けた海辺の小屋で初めて結ばれる。
しかし、嵐の一夜を二人きりで過ごし邸に戻った若い二人を過酷な運命が待ち受けていた。
コンを訪ねてきた国王が雪鈴を見初めたのだ!
王はコンから強引に雪鈴を奪おうとしてー。
嵐の王宮編、怒濤の展開、前編。
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コンが言い終えたその時、室の扉の向こうから控えめに声がかかった。
「失礼致します、お茶をお持ちしました」
雪鈴の声だ。コンは即答した。
「入りなさい」
静かに扉が開き、雪鈴が静々とお茶を運んでくる。彼女はまず継母の前ー文机に茶托ごと湯飲みを載せ、コンの前にもそっと置いた。
コンは、そっと雪鈴を窺い見た。雪鈴は努めて平静を装っているけれど、可愛らしい小さな顔は蒼白で、今にも倒れそうに見えた。
間違いない、彼女は今し方の継母とコンの会話を聞いてしまったのだ。彼女のことだから、盗み聞きしたとは思えない。時機が悪すぎたのだろう。
後悔しても今更だ。ソンギにも言われたはずだ、大切な女なら、尚更、一刻も早く真実を伝えた方が良いと。
コンは雪鈴に心の声が届くことを願いながら、彼女に視線を送った。
ー大丈夫だ、そなたは何も心配することはない。
安心させるように微笑みかければ、上手く伝わったのか、雪鈴の顔色がほんの少し明るさを取り戻したような気がした。それでも、彼女の表情がいつになく暗いのは変わらない。
コンは継母を一刻も早く追い返し、雪鈴と二人きりになりたいと願った。
やはり、このときも継母の勘は鋭く働いたようである。たった一瞬の若い二人の心の通い合いを見逃さなかったようだ。
継母が断じた。
「そなたが我が姪と結婚できない理由は、この者だというのですか?」
この期に及んで隠したとしても、詮無いことだ。コンは頷いた。
「さようです」
継母が怒りに顔を紅潮させた。
「この娘は下女でしょう。あなたは先刻、恋い慕う女は両班だと言いませんでしたか、文陽君」
コンは意地悪い気持ちになり、平然と応えた。
「雪鈴は間違いなく両班家、しかも南方の名家の息女です」
継母が額に手を当てた。
「田舎両班の娘ー」
突如、コンが声を荒げた。
「失礼ですが、義母上におかれては、少し言葉を慎んで頂きたい。正式な婚約こそしておりませんが、雪鈴は俺の心に決めた生涯の伴侶であり、婚約者も同然です。その大切な許婚に対して、たとえ義母上とはいえ、貶める発言は許さない」
義母が絶句した。
「なっ」
衝撃のあまり、言葉が出ないようだ。これまでコンは義理の息子として、継母に表向き逆らったことは一度たりともなかった。命じられて素直に従うこともない代わりに、建前は大人しい息子を演じていたのだ。それが初めて声を荒げて反抗されたものだから、継母は二の句も告げないらしい。
しかし、コンはひと欠片の後悔もなかった。これより先も、大切な想い人を傷つける者は誰であろうとけして許さないつもりだ。
彼は自らを落ち着かせるように息を吸い込んだ時、既に雪鈴の姿は室から消えていた。
義母の思慮を欠いた言動に、相当、我を忘れていたらしい。雪鈴がいつ室を去ったのかさえも知らなかった。
その日の継母の来訪はさんざんな結果に終わった。とはいえ、結果としては継母に雪鈴の存在をきちんと表明できたのだから、コンとしては満更悪いとばかりもいえなかった。
コンに面と向かって刃向かわれたのがよほど堪えたのか、義母はいつものように泣きながら帰っていった。
今までなら義母をなだめすかしたりと機嫌を取っていたのだが、今回ばかりはコンも歩み寄るつもりはさらさらなかった。
海の妖精
雪鈴は自室に駆け込むなり、座椅子にくずおれた。両手で顔を覆うと、熱い雫がひっきりなしに頬を流れ落ちた。
何ということだろう。コンに他の女性と結婚する話が出ているという。いつかはこんな日が来ると覚悟はしていたつもりだった。
本人は末端王族だと自らを卑下しているけれど、コンの聡明さを知る者はけして少なくはない。ただ風流な人柄というだけでなく、情理を解する知識人として彼を認識している人は多い。
都落ちする前、彼の評判はさんざんなものであったようだ。天下の放蕩者、女好きと〝文陽君〟と聞けば良く言う者より眉をひそめる者の方が多かった。
しかし、四年の月日を経て都に還った彼の変貌ぶりは、そんな人々を瞠目させるに十分すぎた。
更に雪鈴が打撃を受けたのは、コンの結婚話だけではない。あろうことか、コンが世子に冊封されるという! まさに、晴天の霹靂といえば、このことだ。
立ち聞きは、けして褒められた行為ではない。だが、内側から洩れ聞こえた奥方の言葉に、雪鈴は耳を澄ませずにはいられなかった。
ーしかも、こたびは畏れ多くも、あなたが世子邸下におなりになるとのこと。こんなめでたいお話をあなた自身の口から知らせて戴けないとは、情けない限りです。父上も今度の慶事には、とてもお歓びでおられますよ。
一体、そんな話がいつ降って湧いたのか。愚かにも雪鈴一人が知らなかったらしい。だとしても、コンの身にとっては一大事なのに、何故、彼は我が身に話してくれなかったのだろう。コンも雪鈴も互いの想いを確かめ合い、ずっと側にいようと決めたのではないのか。