韓流時代小説 秘苑の蝶~永遠ー願わくば互いが土に還る日まで同じ道を歩こう。ずっと俺の側にいてくれ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第一話 後編 韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。


  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 コンは少し考え、また口を開いた。
「引き渡す必要がないと思ったからだ」
 彼は低い声で続けた。
「崔家の当主の主張は、考慮の余地もない愚かなものだ。確かに烈女制度は国も認めたものであり、あの者らの言い分は一見、何の齟齬もない」
 コンはこみ上げてくる感情に歯を食いしばり、自らを落ち着かせるかのように深い息を吐き出した。
「だが、俺は考えるのだ。人とは何だろう。人がこの世で最も尊ぶべきものは何なのか。雪鈴は何だと思う?」
 話を振られ、彼女は考えてから応えた。
「この世で最も尊いものは生命だと思います」
 コンは満足げに頷く。
「そう、生命だ。そして、人が獣とは決定的に違うのは、情があるからだ。いや、獣でさえ、数日共に暮らせば互いを労り合う情を持つという。にも拘わらず、崔家の者どもは、倅の嫁であるそなたを不当な手段をもって殺害しようとした。しかも、ヤツらがそなたに死を望んだのは、倅のためでも何でもない。ただ、烈女を出した家門だと国王から認められる栄誉と報奨金が目当てにすぎない。つまり、自らの薄汚い欲を倅可愛さに都合良くすり替えているだけさ」
 コンは嘆息した。
「嘆かわしいことだ。本来なら、嫁いで数日で良人に先立たれた嫁を労り、将来のある嫁を潔く実家に戻すのが人の道だろう。なのに、自らの欲を満たすために、妻は良人に操を立てるべきだといかにも正論を振りかざし、か弱き娘を追い詰め、亡き者にしようとする。正直なところ、俺は崔家の当主夫妻をこの手で叩き斬ってやりたいくらいだ」
 雪鈴の声が戦慄(わなな)いた。
「コンさま」
 コンが優しく微笑んだ。
「そなたは何も恥じる必要はないんだ、雪鈴。人は誰でも生きたいように生きる権利がある。恥を知るべきなのは、獣にももとる崔家の当主夫妻だ」
 雪鈴の眼から透明な雫が溢れ、白い頬をつたう。
「初めてです。死ななくても良いと言って貰えたのは初めて。皆、私に死ねと言いました」
 何度も考えた。義両親の命令に背き続ける自分が間違っているのかと。一刻も早く、ハソンの許に逝くべきなのかと。
 コンもまた涙声で言った。
「何故、そなたが死ねばならない? そなたはまだ十六で、その先は果てしない未来が続いている。きっと亡くなった気の毒な良人も、そなたの死を望みはしないだろう」
 刹那、雪鈴の耳でハソンが息を引き取る間際に告げた科白が蘇った。
ー私に万一のことがあれば、そなたは実家に帰れば良い。操を立てて殉死しようなどと考えてはいけないよ。
 あの時、ハソンは人を呼びにいこうとする雪鈴のチマをひしと握りしめ引き留めた。そして、あの遺言となってしまった言葉を苦しい息の下からくれたのだ。
 コンが静謐な声音で言った。
「崔家の嫡子は、強欲で冷酷な両親に似合わない、情のある若者だったと聞いた。そんな男なら、そなたの死を望みはしない。仮に俺が先立つ良人の立場であったとしても、妻の死を絶対に望まない」
 雪鈴は声を上げて泣いた。ハソンの死以来、懸命に守り続けてきたものーそれは生命だけではなく、自らが人として生きる上での誇りでもあったーをやっと認めてくれる人がここにいる。しかも、そのひとは雪鈴が十六年の人生で初めて好きになった男だった。
 コンは泣きじゃくる雪鈴を腕に抱き、ずっと優しく髪を撫で続ける。
「辛かったろうな。よく耐えたものだ。雪鈴、そなたは並の女ではない。大概の娘なら、ここまで持ち堪えられず、自害するか殺されていただろう」
 コンはこの上なく大切な宝物を愛しむかのように、雪鈴の頭を撫でた。
「だが、そなたが耐え抜いてくれたお陰で、俺はそなたと出逢えた」
 コンの優しい言葉に、涙が止まらない。雪鈴は震える声で問うた。
「私の素性をご存じなのに、どうして知らないふりをなさったのですか?」
 コンは笑顔で応えた。
「そなた自身が話してくれるまで、待つと言った。あの最初の約束を守っただけだ」
 そう、約束。確かに彼はそう言った。雪鈴が愕くほどの忍耐力と優しさ、広い心で彼は雪鈴を理解し、受け止めてくれた。
 雪鈴は呟いた。
「私、もう死ななくて良いのですね」
 コンがまた涙混じりの声で言った。
「この世に死んで良い人間なんて一人もいない。今度、そんな馬鹿げたことを口にしてみろ、俺が許さないぞ」
 コンが黒檀の髪に頬を押し当てる。
「俺より先に死ぬな」
 この時、雪鈴は知らなかった。コンが心で呟いたのを。
ー願わくば、俺とそなた、互いが土に還るまで今宵のように共に同じ空を見て、月や星を愛でられたなら。長い人生という道を共に歩んでゆけると良いな。
 そのためには、まだまだ乗り越えるべき山は幾つもあるだろう。だとしても、もし雪鈴が彼と同じ想いでいてくれたとしたら、彼は険しい山がこの先、幾つ待ち受けていたとしても、彼女と共に手を繋いで乗り越えてゆく覚悟はできていた。
 ふいに涼しい夜風が二人の側を通り過ぎていった。姫乃原に群れ咲く姫貝細工たちは、月明かりの下で静かに微睡(まどろ)んでいる。昼間は鮮やかなピンクに輝いていた花びらは、今や月光に濡れて淡く発光しているかのようだ。
 雪鈴が身を離そうとしたので、コンはどこか名残惜しそうに抱擁を解いた。
 彼女はまた視線を上向けた。
「夜に見る姫乃原は、また昼とは違った美しさがありますね」
 コンが頷いた。
「そうだな。姫貝細工の花は昼間はあどけない乙女のようだが、夜は妖艶な大人の女に見える」
 雪鈴は何げなく花たちを見ている中に、声を上げた。
「あ」
 コンが不思議そうに眼をまたたかせる。
「どうした」
 雪鈴は白い指先を前方に向けた。その指先の少し彼方、銀色に輝く蝶がふわふわと飛んでいる。
「ホホウ、銀蝶か」
 五月も半ばになろうとしているこの季節、蝶を見かけるのは不思議でないけれど、銀に染まった蝶は珍しい。
 雪鈴はふと思い出し口にした。
「そういえば、コンさま。私、この珍しい蝶を見たのは初めてではない気がします」
 コンが眼を見開く。
「どういうことだ?」
 彼女はかすかに首を傾げ、記憶を手繰り寄せる。
「こんな話をすると、子どもじみていると笑われてしまいそうですけど」
 崔家に雇われた刺客や下男たちに崖際まで追い詰められ、彼らになぶり殺されるよりはと飛び降りた時、確かに銀蝶を見た。
 更にはコンに河原で救われ、彼の屋敷で目覚める直前に見た夢、コンが王族だと知った日の夜に見た夢にも銀の蝶は現れた。しかも、あの夢では、雪鈴が銀蝶に導かれていった先はあろうことか、王宮であった。あまりに畏れ多くて、流石にコンにもそこまでは話せない。