韓流時代小説 秘苑の蝶~コンの決断ー俺は、そなたを婚家に渡す気はない。何があっても雪鈴は俺が守る | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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第一話 後編 韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。


  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 コンはいつも雪鈴が泣き止むまで辛抱強く待ってくれる。このときも彼は余計な言葉は一切挟まなかった。
 漸く嵐のような感情が静まると、雪鈴は涙を拭った。
「私、コンさまにずっとお話しできていなかったことがあります」
 コンの黒瞳は、頭上にひろがる夜空みたいだ。眼(まなこ)は凪いで、どこまでも続く銀河を宿しているかのようだ。
 今なら言える気がした。いや、そうではない。そろそろ現実と向き合うときが来たのだ。コンの許で過ごす束の間の安息が幾ら居心地が良いとしても、すべてを告白することによって、それを手放さなければならないとしても、このままで良いはずがない。
 何故なら、今のままでは何の進歩もないし、何より彼を欺していることになるから。大好きな男、心から大切だと思う男に嘘はつきたくない。沈黙を守ることは嘘をつくのとは違うーどれほど自分に言い訳してみても、所詮、自己欺瞞にすぎなかった。
 雪鈴はこれまでコンを欺してきたのも同然だ。雪鈴は小さく息を吸い込んだ。
「私の名は孫雪鈴、実家は南方の田舎町にあります」
 雪鈴は、ゆっくりと自分の身の上について語った。およそ五ヶ月前、南方からこのセサリ町に嫁いできたこと、婚家はこの地方でも名家として知られる崔家であること。
 話は挙式後五日目に良人ハソンが急死したことに及び、更に義父母に自害を迫られたことに及んだ。
「良人が亡くなった六日後、姑から自害せよと懐剣を渡されました」
 コンは怖れていたように怒りもしなかったし、不機嫌にもならなかった。あたかも雪鈴の告白をすべて予測していたかのようでもあった。
「皆が私に死ねと迫りました。とても怖かった」
 雪鈴はまた滲んだ涙を手のひらでこすった。
「実家の両親さえ、救いを求めて婚家を逃げ出した私に義両親の命令に従うようにと言いました」
ーシネシネ、オマエハナンノカチモナイコムスメダ。ダカラ、シネ。
 婚家から逃げ出して逃亡の旅を続ける間は、始終、〝死ね〟という幻聴が耳奥で鳴り続けていた。
 頼りにしていた実家にも見放され、いよいよ崖に追い詰められたときには、正直なところ、もう、どうでも良い、なるようになれと自暴自棄になりかけてもいた。
 ここから飛び降りてしまえば、死ね死ねと寄ってたかって責め立てられることもないのだと思い、実際に飛び降りた瞬間には、これで漸く辛い苦痛から解放されるのだとさえ思った。
 雪鈴の声が涙混じりになった。
「でも、正直、良人の顔ももう朧です。顔も憶えていない良人のために死のうとはどうしても思えませんでした。やはり、私は婚家の義母の言うように情の無い、冷たい女なのでしょうか」
 コンは黙って雪鈴を見ていた。その場には夜の静寂と、ただ雪鈴の慟哭だけが聞こえている。やはり、コンのような度量の大きな男であったとしても、理解はして貰えないのか。当然だ、コンもまた王族であり、女は〝内訓〟に書かれているように、生まれながらに父や良人に従うものだと信じているのだろう。
 だとしても、今夜、彼にすべてを打ち明けたことを後悔はしていない。いずれは話さなければならない、いや、もっと早くに話すべきだったのだ。
 むしろ、これで見込みのない恋に区切りをつけることができる。けれど、たとえ毒を無理に飲まされることになったとしても、婚家の義両親の言いつけに従うつもりはなかった。最後の最後まで抗い、戦うつもりだ。
 それが、雪鈴なりの覚悟であり、精一杯の自らの誇りを守る手立てだった。誰が何と言おうが、人の生命は尊いものだ。義父母であろうが、嫁に殉死せよと指図するのは間違っている。誰だって他人に迷惑をかけない限り、生きたいように生きる権利がある。
 不当に生命を奪われることは、断じてあってはならないのだ。
 雪鈴の考え方は両班家の世界では通用しないかもしれない。それでも、雪鈴は最後の最後まで、屈することはないだろう。
 すべてを包み隠さず話したことで、自分の中の何かが吹っ切れたような気がする。雪鈴はもう、泣いてはいなかった。
 真っすぐにコンを見つめた。
「今まで黙っていて、本当にごめんなさい。私は許されない過ちを犯しました。助けて下さり、詮索もせずにお屋敷に置いて下さったのに、コンさまを結局、欺したのと同じになってしまいました」
 コンはなおも言葉を発しない。ああ、やはり彼は許してはくれないのだと思った。その時初めて、雪鈴は彼ならば理解してくれるのではないかと甘い期待を抱いていたことに気づいたのだ。
 馬鹿な私。そんなことがあるはずもないのに。雪鈴が瞳をそっと伏せたのは、また滲んだ涙をごまかすためだった。
 と、ふいに強い力で抱きすくめられ、雪鈴は驚愕した。
「俺はそうは思わない」
 彼は雪鈴の黒髪に唇を押し当てている。くぐもった声は、はっきりと届いた。
 雪鈴はかすかに身を震わせた。もしやという儚い期待半分と期待して裏切られたときの不安半分に、心は嵐に舞う木の葉のように揺れていた。
 彼女は消え入るように言った。
「何について、そう思われないのですか」
 すぐに彼が応えた。
「すべてだ」
「すべてー」
 吐息のごとき、彼女のかそけき声が初夏の夜風に乗り散ってゆく。
「そなたが亡き良人の後を追って自害しなければならないことにも、そなたが冷淡な心の女だということにも納得できない」
 雪鈴はハッとして貌を上げた。
 間近で見る彼の顔には痛みに耐えるような表情が浮かんでいる。その漆黒の双眸は深い哀しみに揺れていた。
「雪鈴、俺は実のところ、そなたの素性はほぼ知っていた」
 雪鈴は鋭く息を吸い込んだ。
「ーっ」
 愕きのあまり、言葉が浮かばない。何故と訊きたいのに、訊くことさえできなかった。
 コンは雪鈴の混乱を予期していたのだろう。小さく息を吐いてから教えてくれる。
「そなたが俺の許に来て半月ほど経った頃だ。俺が王族だと知って愕いたのを憶えているか?」
 雪鈴は即座に頷いた。
「憶えています」
 あれは雪鈴が何か仕事をさせて欲しいとコンに頼み込んだときの話だ。役場に出仕する朝、彼の纏う官服の色を見て、王族だと知ったのだ。
 コンは淡々と続けた。
「あの日、役場で郡守から相談を受けたが、それが崔家の当主の訴えだった。役場の記録には、そなたが今、話したことと同じ内容が逐一記されていたよ」
 雪鈴は茫然と彼を見上げた。
「ご存じなら、何ゆえ、私を崔家に引き渡さなかったのですか?」
 コンは優しい人だ。同情か憐れみか。いずれにせよ、ゆき場のない娘を崔家に引き渡した暁には、即座に殺されると判っていて引き渡すような人ではない。