韓流時代小説 秘苑の蝶-孤独な花は涙に震えてーあなたの側を去っても、私には行く場所がないのです。 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第一話 後編 韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】


嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。


  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 雪鈴は青くなったまま、あたふたと言った。
「いえ、でも私はコンさまのご親切で、このお屋敷に居候させて頂いている身ですし」
 コンの声が更に低くなった。
「誰がいつ、そなたを居候だと言った! 俺は、そなたをー」
 どれだけ待っても、続きの科白は聞こえてこなかった。清明が取りなすように言う。
「お兄さま、そんな怖い表情、怖い声を出すものだから、雪鈴が泣き出したじゃないの」
 コンがハッとしたように雪鈴を見た。
 雪鈴は滲んだ涙をそっと手のひらで拭った。
「私が病気で熱を出した時、母がよく手ずから松の実粥を拵えてくれました。どんなに熱が高くて食欲がなくても、塩味のきいた母特製の粥なら、たくさん食べられたんです。だから、清明さまも最近、お腹が大きくなって食欲が無いから、これなら食べられるだろうって」
 熱を出して寝込んでいる最中、熱い額にやわらかな母の手が乗せられた時、ホッとした。ひんやりとした心地良さを感じるだけで、熱が下がったような気になったものだ。でも、もう母のあの手の感触を感じることは二度とない。
 自分は、母にも父にも切り捨てられた用無しの人間なのだから。
 雪鈴の眼から、とめどなく涙の粒がころがり落ちた。
 コンが物言いたげな視線で見つめている。コンと清明が咄嗟に貌を見合わせたのに気づくゆとりさえ、そのときの雪鈴にはなかった。
 清明も痛ましげに雪鈴を見ていた。
 コンの声は悔恨に満ちていた。
「雪鈴」
 この屋敷に来てからというもの、雪鈴が自分の身の上に関して話したのは、これが初めてだ。素性に繋がる話はできるだけ意識して避けていたはずだ。
 しまったと思ったときは遅かった。雪鈴は唇を痛いほど噛みしめた。
 コンが痛みを堪えるような表情で言った。
「済まない。そなたを泣かせるつもりはなかった」
 雪鈴は縮こまった。
「いいえ、私の方こそ出過ぎた物言いをしました」
 雪鈴が泣いたのは、コンが怒ったからでもないし、怖かったからでもない。ただ、松の実粥から実家の母との優しい想い出を思い出しただけだ。けれど、コンは勘違いして、自分が泣かせてしまったと我が身を責めているに違いなかった。
 そして、今回も清明がまた気まずい雰囲気を変えてくれた。
「お兄さま、それよりも先刻の話、良いでしょう、雪鈴にも付いていって貰えば問題ないわ」
 コンが困惑したように言った。
「お前な」
 何か言いたげに口を動かし、やれやれというように天を仰ぐ。
「ったく、金家の舅どのや婿どのがどれだけ寛容か思い知った気分だ。そなたを満足させるには、漢江よりも深く辛抱強い心が必要だろう。そなたのような我が儘娘を嫁に貰ってくれた婿どのに感謝せねばなるまいよ」
 コンが大きな溜息をつき、改めて雪鈴を見た。雪鈴もまた清明が折角気まずさを消そうとしてくれたこの機会を台無しにするつもりはない。
「何のお話でしょうか? 私でお力になれるなら、歓んで務めさせて頂きますけど」
 雪鈴の生真面目な口ぶりに、清明が笑い出した。
「そんなたいしたことではないのよ」
 と、コンがまた声を尖らせる。
「何がたいしたことがないだと? これのどこを見て、そんな悠長なことが言える?」
 清明は何食わぬ顔で言った。
「大体、お兄さまは変なところで真面目すぎるのよ。都にいた頃は女性関係の派手さでは負ける者がいないくらいの極楽とんぼだった癖に、妙なところでは頭が固くて融通がきかないんだから」
 コンが真っ赤になった。
「おい、突然、何を言い出すんだ」
 だが、清明は、しれっとしたものだ。
「あら、本当のことでしょ。いつぞやは翠翠楼の張月と春月、二人の売れっ妓がお兄さまに本気になって奪い合いになったって、それはもう都中で有名になったわよね。お兄さまもつくづく罪な男だわ。世の男どもを手玉に取るのが朝飯前の玄人女を易々と夢中にさせてしまうんだから」
 雪鈴は呆気に取られ、兄妹の会話を聞いているしかない。コンが都で名を轟かせたほどの遊び人だったとは、今の彼を見ているだけでは信じられないのだけれど、清明が腹いせにデタラメを口にするとは思えない。
 何となく嫌な感じだ。
 コンは赤くなったまま、遮るように早口で言った。
「判った、そなたの言うようにしてやるから、頼むから、これ以上、余計なことを喋るな」
 清明は、我が意を得たりとばかりだ。
「判って下さったら良いのよ」
 コンは嘆息した。
「本当に、そなたというヤツは、昔から変わらないな」
 彼が雪鈴を振り返って言う。
「清明は子どもの時分から、いつもこうだ。俺が頼み事を聞き入れないと、弱みを次々と並べ立てて父上にバラすと脅すんだよ」
 二人のやり取りから、本当に気心が通じ合っているのだと知れる。口では喧嘩めいた丁々発止のやり取りをしていても、心の底では互いに信頼し合っているのだろう。微笑ましい幼い兄妹の姿がごく自然に浮かび、雪鈴は頬を緩めた。
「お二人が羨ましいです」
 清明も笑って頷いた。
「母親が違う姉兄妹(きょうだい)は数え切れないほどいたけど、何故か私たちはウマが合うというのかしら、仲が良かったわよね」
 コンがぶつくさと言った。
「そなたとウマが合うだなんて、ゾッとしないぞ。とんだ我が儘なお転婆娘だ、一緒にしないでくれ」
 雪鈴は遠慮がちに言った。
「それで、私は何をすれば良いのでしょう」
 清明が笑いながら言った。
「ごめんなさい、話が逸れちゃったわね。私が遠出したいので、付いていって欲しいのよ」
 雪鈴は眼をまたたかせ、コンを見た。
「よろしいのですか、清明さまはもう臨月です。身重のお身体で、あまり遠出はなさらない方が良いと思うのですが」
 コンが頷いた。
「俺もまったく同意見だ」
 ほれみろと言わんばかりに、清明を見る。
「少しでも思慮深い者なら、絶対に賛成はしない」
 清明が眉尻を下げた。
「お願い、一度だけ、何とかならないかしら。もう直、子どもが生まれるし、いざ生まれたら当分は遠出どころではないと思うの。今の中に行きたいわ」
 そのあまりに必死な様子に、雪鈴は小首を傾げた。
「どこにお行きになりたいんですか?」
「ローダンセ(姫貝細工)がそれはもう綺麗に咲いている野原があるの。そこに行きたい」
 コンがすかさず口を挟んだ。
「姫貝細工なら、うちの庭にもたくさんあるだろう、今はそれで我慢しておけ」
 清明は譲らない。
「こちらのお屋敷の庭も綺麗だけど、姫乃原の方は数倍どころか万倍も見事よ」