韓流時代小説 秘苑の蝶~唇を重ねれば、いっそう離れがたくなる。期間限定の恋だと判っているのにー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

 第一話 後編

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。


  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 絵筆を握っている時、コンは真剣そのものだ。そこに何の特別な意味もあるはずがなく、彼はただ無心に描いているだけなのに、雪鈴は彼の眼差しを感じただけで、頬が熱くなる。我ながら、あまりに自意識過剰だと自嘲気味に考えた。 
 昼と夕餉の給仕も雪鈴の仕事になったし、側にいる時間が増えたというよりは、実のところ、殆ど側にいると言った方が良いくらいだ。もちろん、コンにひそかに想いを寄せる雪鈴にとっては、とても嬉しいし幸せな時間であるのは間違いない。
 そうして日々がゆったりと過ぎている中に、気がつけば季節は一つ過ぎ、再び水温む春になっていた。
 邸外には出さないけれど、コンは雪鈴を伴い、よく庭を散策した。多分、彼なりに気を遣ってくれているのだと判る。コンの屋敷は地方に暮らす両班たちのものと大差ない。何でも以前の持ち主が跡継ぎのないまま亡くなってしまった屋敷を手入れしたのだという。
 屋敷がこじんまりとしているから、庭もけして広くはない。が、定期的に庭師が手入れをしているため、樹も花もみずみずしい。殊に百花繚乱の季節を迎えた今、文陽君邸の庭は春の花が一斉に咲き乱れていて、見事なものだ。
 うららかな優しい陽差しを浴び、心から恋い慕う男と美しい庭をそぞろ歩く。まさに、言葉通り、夢のような幸せだ。たとえ、それが期間限定で、いつ終わるか判らないものだとしても。
 中でも雪鈴が好きなのは、姫貝細工(ローダンセ)の咲き乱れる一角である。やや濃いめのピンクの愛らしい花は触れるとカサカサしており、紙のようだ。姫のように可憐で愛らしく、貝細工のような手触りでもあることから、この名が付いたのだろうと、コンが庭を歩きながら話してくれた。
 姫貝細工は、別名を〝ヒロハハナカンザシ(広葉花簪)〟ともいうらしい。
ー似たような花が咲くハナカンザシより葉っぱの幅が広いから、この名前が付いたそうだ。
  ある日、姫貝細工の側に佇み二人で咲き誇る愛らしい花たちを眺めながら、コンが興味深い話を教えてくれた。
 コンは愕くほど博学だ。亡くなった良人のハソンも物識りであったらしかったけれど、コンはハソンに比べてかなり大人の印象がある。わずか五日しか一緒に過ごせず、〝らしかった〟としか言えないのが哀しくも残念ではあった。むろん、コンの方が五歳年長だと考えれば、当然かもしれない。
 しかし、義両親の前で雪鈴を庇ってくれはしても、ハソンが表立って親に逆らうことはなかった。今、思い出せば、彼は義母が新妻に辛く当たるのを最初から止めたことは一度たりともなかった。見かねて途中で止めたことはあるし、後で慰めてくれたことはあれども、基本的に静観の構えであった。
 両班の世界では、子は親に逆らってはならないとされる。ハソンの行いは間違いではない。しかし、嫁いだばかりの雪鈴にとっては心細くもあったし、少し歯がゆい気もした。
 その点、コンは王族という生まれにしては、非常に性格がはっきりしている。大人しいハソンに比べ、コンは駄目なものは駄目、自らの主張を譲らない。もちろん、それは常識的範囲でのことであり、彼がけして間違ったことは言わないのは判るから、雪鈴は安心して何もかも委ねられる。
 彼が安心していて良いと言うなら、恐らく絶対に大丈夫と全面的に頼れる気がした。
 こんな風に亡き良人とコンを比べるのは、良くないことだと思っている。雪鈴は義両親に自害を迫られたときですら、ハソンの貌をはきとは思い出せなかった。ただ、ぼんやりと笑顔の優しい男(ひと)だったと記憶していただけなのだ。
 やはり、我が身は情の無い女なのかと自己嫌悪に陥ってしまう。それでも、コンに日ごとに惹かれてゆく心を止めるすべはなかった。
 庭の奥まった一角には桜の老樹もあり、桜花が見頃の時期には、満開の桜の下でスチョンの心づくしのご馳走を食べながら花見を楽しむこともできた。
 時折、気紛れに吹き抜ける風は心地良く、温かく、桜貝のような花びらがちらちらと舞い落ちる。雪鈴が風に流される花片を視線で追っていると、ふと強い視線を感じて振り向けば、そこには常にコンの笑顔があった。
ー花に見蕩れていたようです。
 彼と視線が合い、気恥ずかしくなって早口で言うと、コンは陽差しに眩しげに眼を細めて言った。
ー俺は花に見惚れるそなたに見蕩れていたよ。
 その科白に、雪鈴がいっそう頬を染めたのは言うまでもない。
ーいや、こんな科白は女を口説き慣れた単なる遊び人だと思われるだけかもしれないが。
 呟いたコンの綺麗な顔から、ふと笑いが消えた。
ー雪鈴。
 彼の大きな手のひらが伸び、優しい手つきで髪を撫でてくれるのはいつものことだけれど、そこからが違った。彼の手が自然に背中に回り、ゆっくりと引き寄せられた。
 深い幾億もの夜を閉じ込めたぬばたまの瞳が迫ってくる。雪鈴はごく自然に眼を瞑った。
 彼が好んで身につける若葉の香りの香がかすかに漂い、雪鈴を包み込む。胸に吸い込めば、心が洗われる清(すが)しい匂いだ。彼という存在を象徴しているようでもある。
 この瞬間、恐らく口づけられるのだろうと思った。けれどー。
 現実には何も起こらなかった。いよいよコンの吐息混じりの唇が近づいてきたその時、万悪くスチョンがやってきたからだ。
ー坊ちゃま、そろそろ、ご酒のおかわりがお入り用だろうと思いましてね。
 明るい声音が静寂に響き渡り、雪鈴は真っ赤になって飛びすさった。眼を開けると、恨めしげなコン、幼子の悪戯を見つけたようなスチョンの得意顔がそこにあったのだ。
ーお前は、どうして気が利かないんだ!
 コンもいつになく頬を赤くして言うのに、スチョンはあっけらかんと笑った。
ーそのお顔、下心見え見えですよ。まるで、野ウサギを頭からガリガリと食らっちまう狼みたいに涎を垂らしてなさいますね。
ーええい、無礼者。いくら、そなたといえども口が過ぎるぞ。
 コンが怒っても、スチョンはまだ笑いながら新しい酒器を置いて平然と立ち去っていった。
 スチョンが姿を消した後は、彼女が登場したとき以上に気まずい沈黙が漂った。
 コンが盛大な咳払いをし、
ーまったく、無粋なヤツだ。
 どこか残念そうに言うのを聞きながら、雪鈴はやはりこれで良かったのだと思った。
 いつかは別れなければならないのなら、今より彼に近づくのは賢明ではない。きっと二人とも、別れがたく、別離は辛いものになるだろう。
 だから、雪鈴は敢えてクスリと笑ってみせた。悪戯を見つかった子どものように。
 すると、コンも共犯者のように感じたのか、いきなり笑い出し、二人は見つめ合ったまま声を上げて笑い合ったのだ。
 これで良い。コンの晴れやかな表情を眺めながら、先刻の出来事を笑いに紛らわせてしまったのは正しかったのだと雪鈴は自分に言い聞かせた。
 こうして彼と共に綺麗な花を愛でる度に、大切な想い出が増えてゆく。これらの想い出を積み重ねるだけでも、いずれ待ち受ける別れを思えば哀しくて声を上げて泣き出しそうになるのに、口づけられてしまえば、なおいっそう辛くなる。