韓流時代小説 秘苑の蝶~さすらいの花は涙に濡れてー運命が回り始める。居場所を失った雪鈴はどこへ。 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。

  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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  雪鈴は泣きながら言った。
「崔家は卑怯よ。亡くなったハソンさまが持病持ちだということさえ隠していたのに」
 オクチェが眼をまたたかせた。
「婿君が持病持ち? それはどういうことなの」
  雪鈴は涙混じりに言った。
「ハソンさまが生まれたときから心ノ臓に欠陥があったのですって。それで、生まれたときから彼を診ていたお医者さまは到底二十歳までは生きられまいと危ぶんでいたとか」
 オクチェが悲憤の声を上げた。
「まあ、何ということかしら。崔家は子息が患っているのを隠して縁組みを進めていたのね。知っていれば、大切なあなたを崔家に嫁がせることはあり得なかったわ」
 雪鈴は涙をぬぐった。
「ハソンさまはとてもお優しい方だった。亡くなった人には感謝こそあれ、恨みはない。でも、私は崔家の義両親は許せないの。ハソンさまが大変な病であったことをひた隠し、だまし討ちのように婚姻をまとめたことも、私にハソンさまの後を追えと強要することも。お母さま、崔家の義両親はおぞましい、鬼のような人たちよ。あの人たちが私を殺そうとするのは息子のためじゃない。崔家の名を世に知らしめ、残すためだと私の前ではっきりと言ったの」
 最早、オクチェの顔色はなかった。産み月も近い母にこれほどまでの衝撃を与え、どれだけ自分は親不孝なのだと思ったけれど、今、我が生命は風前の灯だ。言うだけのことは言わねばならなかった。
 オクチェが立ち上がった。
「良いでしょう。向こうがその気なら、こちらも考えがあるわ」
 雪鈴は母を頼もしく見上げた。
「お父さまに上手く話して頂ける?」
「むろんですよ。子息の病気を隠していたなんて、こちらを馬鹿にするにもほどがあるわ。この話をお聞きになれば、令監さまもあなたを向こうに引き渡すなどと言われないでしょう」
 雪鈴は母が戻ってくるのをひたすら待った。四半刻が経ち、半刻が過ぎても、母は姿を見せなかった。何をこれ以上、相談する必要があるのだろう?
 雪鈴がじりじりしながら待っているところ、一刻近くしてやっと母が戻ってきた。
 が、母の蒼褪めた顔を見て、雪鈴は絶望に心が染まった。母の顔色は先刻以上に思わしくない。
 父を説得できなかったのだ。それでも、雪鈴は一縷の望みを賭けた。
「お父さまは、何とおっしゃって?」
 オクチェは座り込み、また娘の両手を自分の手で包み込んだ。刹那、雪鈴は崔家を逃れる間際、雪鈴の手を包み込んだアジョンの手を思い出した。上流両班家夫人である母の手はアジョンのように荒れてはおらず、若い女性のようになめらかでシミ一つない。
 アジョンは何のゆかりもない雪鈴のために生命を賭して逃がしてくれた。ぼんやりと思い出していると、母が手を取ったまま言った。
「お父さまは、あくまでもお考えは変わらないと言われているわ」
 雪鈴はもう一度、ガツンと頭を殴打された気分だった。
「何故なの? 崔家は卑怯にもハソンさまの持病を隠していたのよ?」
 ハソンをよく知る医者は、彼が二十歳までは生きられないと思ったと話していた。医者の予測通り、不幸にも彼は二十一歳の若さで亡くなったのだ。崔家は今回の悲劇を予測できたにも拘わらず、知らん顔でハソンに嫁を取った。つまり、長くは生きられないと判っている息子に嫁を迎えれば、その嫁が早晩寡婦となるのは承知していたということだ。
 刹那、ゾワリと身体中の肌が粟立った。
ーまさか、義母はそこまで計算して息子を結婚させた?
 今となっては判らないことだ。けれども、あの計算互い義母なら、万が一、ハソンがあえなく短命であった場合でも、けして自分の損にはならないように小狡く立ち回る算段はしていてもおかしくはないような気もする。
 ハソンが生命を長らえれば良し、不幸にも医者の予言通り薄命であったときは、寡婦となった嫁を〝殉死〟させ、烈女に仕立てあげれば崔家そのものは断絶しても、家名は永久に残る。あまり頭の回らなさそうな義父はともかく、いかにも義母が考えそうなことだ。
 母は沈んだ声音で言った。
「確かにお父さまも崔家が重大なことを隠していたのは、たいそうお怒りよ。もう、金輪際、あちらとの付き合いはしないとまで仰せだから」
 雪鈴は少し力を得て言った。
「なら! 私を崔家に引き渡すなんてことはしないでしょう、お母さま」
 オクチェがうつむいた。
「ごめんなさい、私ではお父さまを説得はできなかったの。後は、あなたがお父さまと話してごらんなさい。もしかしたら、あなたの言葉なら、お父さまを動かせるかもしれない」
 母に連れられ、雪鈴は久しぶりに父の書斎に足を踏み入れた。
 父は鶯色の座椅子にゆったりと座り、文机で書見をしている。見慣れた父の姿が無性に懐かしく、涙が出そうになる。
 室は人払いがされ、父と母、雪鈴しかいない。雪鈴が文机の前に座っても、父はまるで眼に入っていないかのように書物のページを繰っている。
 こんな時、無理に話しかけては父の機嫌が悪くなることを心得ている。雪鈴は父が書見の手を止めるまで辛抱強く待ち続けた。
 薄紫の道袍(ドツポ)を纏った父は、相変わらず秀麗な男ぶりである。父は今年、三十九歳になる。邸内で働く若い下女はむろん、同じ在郷の両班の奥方でさえ、父の気を惹こうと秋波を送ってくるほどだ。
 肝心の父は両班の男には珍しく、側室も置かず、母一人を守り続けている。崔家の義父は同居こそしていないけれど、外に何人もの側妾がいた。潔癖な父を見て育った雪鈴には、義父が何か汚らわしいもののように見えたものだ。
 つと父が手を止め、書を閉じた。いよいよだと雪鈴は肚に力を込める。
「お父さま」
 言いかけた雪鈴を、父が片手を上げて制した。
「お前と話すことは何も無い」
 雪鈴が悲痛な声を上げた。
「お父さま!」
 母が傍らから取りなすように言った。
「令監さま、せめて雪鈴の話だけでも聞いてやっては?」
 父がピシリと言った。
「私は逢わぬと告げたはずだ。勝手なことをするな」
 いつもは母に声を荒げたことのない父だ。父の取り付く島もない様子に、母もいっそう蒼褪めている。
 母が涙ぐんで言った。
「あなた、可哀想な娘に何のひと言もないのですか?」
 父はまた何事もなかったかのように書物を開いて、ページをめくり始めた。
 息の詰まるような沈黙が流れ、父がポツリと言った。
「崔家の義父上の仰せに従いなさい」
 雪鈴の身体が一瞬、大きく震えた。
「ーっ」
 つまり、父は義両親の命令通り、自分に死ねと言っているのだー。衝撃があまりに大きすぎて涙すら出ない。
 母はもう雪鈴を居心地の良い居間に連れ帰りはせず、そのまま屋敷の最奥部に導いた。ここは客が滞在するときに使う空室ばかりだ。ここから外に出れば、使用人たちが使う裏門は眼と鼻の先である。