連載257回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫
君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~
第二部 第四話「扶郎花」
名曲「荒城渡」からインスピレーションを得た最終話(ただし、本作の内容は「陳情令」との関連はなく、あくまでも、曲のイメージを作者なりに物語りで表現したものです)
チュソンとジアンを見舞う新たな試練とは?
哀しい別離を経て、二人が見つけた明日への「希望」とは何なのかー。
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眠っているところ不意打ちをかけられたとしたら、無理に身体を奪われかねない。ーというより、襲われたら男だと露見し、それはそれで大変なことになる。性別がバレたことから、二人の素性に繋がりかねない。羅氏の生き残り、先王の王子だと知れれば、二人とも間違いなく断頭台送りだ。
ジアンは迷いのない口ぶりで言った。
「私も参ります」
「ー」
刹那、チュソンが信じられないものでも見るかのような眼でジアンを見た。
「しかし、そなたー」
口にこそ出さないけれど、ヨンオクがジアンに何かと辛く当たったのは周知のことだ。ジアン本人に〝疫病神〟だ〝日陰の王女〟だと捨て台詞を吐いたこともある。ジアンを厄介者だと言い切り、王女と知りながら、髪を引っ張っるという狼藉さえ、やってのけた。
正直に言えば、ヨンオクについては良い想い出はまったくない。けれども、ヨンオクはチュソンの母であった。ジアンが愛する大切な男をこの世に生み落とし、育てたひとである。
しかも一旦は亡くなったと知らされていたヨンオクが実は生きていたというのだから、息子のチュソンが逢いにゆくのは当たり前だ。
ジアンは良人を見つめ、微笑んだ。
「旦那さまのお母さまは、私の母でもあります」
結婚直後に語った想いは、今も変わらない。たとえヨンオクにどれほど残酷な仕打ちをされたのだとしても、チュソンがヨンオクを大切な母だ思うなら、ジアンにとっても同じだ。
自分が嫁として受けた仕打ちと、チュソンがヨンオクを母として想う気持ちはまったくの別ものだと割り切りたい。
チュソンは、ヨンオクの仕打ちを許せるのかと暗に問うている。もしかしたら、酷い目に遭ったジアン本人より、側で見ているしかなかったチュソンの方がより辛かったのかもしれない。己れの母であるがゆえに、チュソンはあの時、なすすべもなかったはずだ。
彼の苦衷が判るだけに、なおのこと、ジアンはチュソンに罪の意識を感じて欲しくなかった。たとえ母子とはいえ、ヨンオクとチュソンはまったく別の存在であり、チュソン自身に責任はないのだ。
ジアンは美しい面にほのかな微笑をとどめ、いつもより力強い声で言う。
「もう過去です。昔のことはすべて忘れました」
前王妃が放つ刺客から逃れるため、ジアンはチュソンと共に漢陽を逃れた。あの日、ジアンは生まれ故郷だけでなく、それまでの十八年間をすべて捨てた。いわば、過去との決別だ。ならば、間違いなく我が身はあの瞬間、別の人間に生まれ変わったに相違ない。
今更、過去の話を蒸し返す必要もなく、ましてやヨンオクの境遇はあの頃と激変している。まさに、ヨンオクその人も別人としての人生を生きている今、過去の出来事をあげつらったところで何になろう。
ジアンのきっぱりとした物言いに、チュソンはホウと息をつく。
「ありがとう」
チュソンに抱き寄せられるままに、ジアンは良人の逞しい胸に頬を当てる。チュソンは優しい手つきでしばらくジアンの艶髪を撫でていた。
やがて抱擁を解くと、チュソンはコツンとジアンの額に額をぶつけた。
「私はつくづく得難い妻を持ったな。そなたと引き合わせてくれた天に心から感謝するよ」
跡継ぎも望めぬ妻に、そんなことを真顔で囁くのはチュソンだからだろう。自分はそこまで言って貰えるほどの人間ではない。でも、チュソンが信じてくれているなら幸せだ。以前はいちいち否定していたけれど、今はもう素直に聞くことにしている。
「お義母(かあ)さまがお元気でいらっしゃるのを知れば、お義父(とう)さまはどれほど歓ばれることでしょうね」
それは心からの言葉であった。義父ジョンハクは情理を解する人で、恐らくチュソンの穏やかな気性は父親から受け継いだものに違いない。
義母とはむしろ真逆で、〝王女〟として輿入れしたジアンを暖かく迎え入れてくれた。また、ジアンの性別が発覚した後でさえ、消極的ながらチュソンとジアンの関係を理解しようとしてくれた。懐の広い人だった。羅氏の最大の不幸は、無能で人でなしの次男が跡取りであったことだ。
政治家としても有能で人道的なジョンハクが後継者になっていれば、族滅という最悪の結果だけは避け得たかもしれない。今となってはもうどうにもならない話ではあるけれど。
義父は最後まで愛する妻を守ろうとした。ヨンオクを離縁してまで政変の余波から遠ざけようとしたのに、無情にもヨンオクは連行され官奴に落とされてしまった。
政変が起こった日、屋敷で討ち死にしたジョンハクが妻の悲劇を知らずに済んだのは、せめてもの救いであったともいえよう。
ジアンは戸惑い、良人を見つめた。チュソンは黙り込んでいる。何か気に障ることを言ってしまったのかと思い返してみるが、別段、心当たりはない。
チュソンは小さく溜息をついた。
「実は、そうとばかりも言えない」
ジアンは眼をまたたかせた。
「それは、どういうことでしょう」
唐突に聞こえる物言いだけれど、今し方のジアンの科白に対してのものだとは知れる。
「お義父上はお義母上を大切になさっていました。ご安心なさるのではないかと思いましたが」
ヨンオクが身籠もっているということが気懸かりなのだろうかとも思った。確かに抵抗できない状態で犯され、懐妊するというのは女人には一大事だ。屈辱でもあるし、耐えがたい辱めでもあろう。