韓流時代小説 後宮秘帖~王様、助けて!ハン内官が横恋慕で強引に迫る。廃妃は王に助けを求めるが- | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮秘帖

 ~逃げた花嫁と王の執着愛~

  第三話  Temptation(誘惑)・後編

 

~こんな私があなたの側にいても良いのですか~

 

-それは「ひとめ惚れ」から始まった初恋だった-

二人が出会ったのは11歳。
王になるべくして生まれた少年と、謀略によってすべてを失い、苛酷な宿命を背負った少女。
孤独な魂を持つ二人は運命に導かれるようにして、出会った。

 様々な試練や障害を前にしながら、互いを想い合うがゆえに、すれ違い傷つき合う若い二人。
 果たして、二人は幼い日に芽生えた初恋を実らせることができるのか?

 

 登場人物
  イ・ソン(李誠)-後の国王・知宗  
  シン・チェスン(申彩順)-後の貞順王后(チョンスンワンフ)

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 一方、チェスンと別れたソンもまた茫然と大通りを歩いていた。彼の手には、後生大切に色鮮やかな牡丹色の風呂敷が抱えられている。その包みは、やはり美しい箱に入った絹の刺繍靴であった。
 先頃、清国から皇帝の使者として使節団が派遣されてきた。通例に則り、朝鮮側では下にも置かぬもてなしをし、使節団は慕華館に滞在すること半月余りで帰国していった。
 現在、朝鮮は大国清の冊封下にある。れきとした独立国といいながら、その実、国王の即位や世子の冊立などに至るまでいちいち清国の皇帝の認可を必要するのは実のところ、屈辱でしかない。
 けれども、即位してまだ七年めの年若い自分では、既に数十年という在位期間を誇る老獪な皇帝には太刀打ちできず、自分だけではなく歴代の朝鮮国王も似たようなものであった。
 それはさておき、その使節団が皇帝から国王への手土産として持参した品々の中には、見事な女物の靴があった。
―国王殿下のおん大切なる女君へ皇帝陛下よりの賜り物です。
 皇帝ははや齢六十を過ぎているが、後宮には正妃である皇后を初め、三十数人の妾妃が侍っているという。しかも、今年早々には二十歳ほどの若い側室が二人、あいついで皇帝の御子を出産したと聞く。六十を過ぎてなお。孫ほどの若い娘を身籠もらせるとはと、この国の朝廷でも一時期、臣下たちの話の種になったほどだ。
 どうやら皇帝は、若い朝鮮王が後宮の女には見向きもしないという話にいたく興味を持ったらしい。更には、国王にやっと片時も離さぬほどの寵姫が出現したという話も聞き、
―後宮の美姫に見向きもしないほど氷の男の心を動かした佳人とは、どのような女なのか。
 と、見たこともないチェスンにまで食指を動かし、チェスンにとわざわざ自ら見繕った美々しい靴を贈り物として使節団に託したというのだ。
 その話を聞き、ソンは憤懣やる方なかった。

―よもや、チェスンを清の後宮に召し上げるなぞと言い出すのではなかろうな。
 普通なら、あり得ないと笑い飛ばすところではあるが、あの好き者の六十になっても若い側妾を妊娠させるほど絶倫の皇帝である。
 冊封国にすぎない朝鮮の王、しかも孫と同じ歳の若輩の王の正妃ならともかく側室など、欲しい玩具を気まぐれで欲しがるのと同じ理屈で寄越せと言い出しかねない。
 あんな好き者の助平爺になど、チェスンの名前を口にされるだけで、大切な女が穢れるような気がする。最初は皇帝からの下賜品など見るのも厭わしかった。けれど、実際に見たそれは、はんなりとした薄紅色で、褄先には山茶花が控えめに刺繍された逸品だった。流石に大国の優れた職人技の粋を感じさせるものだったのだ。
 敬遠する皇帝からの贈り物ではあるが、この気品ある靴の主にふさわしいのは、やはりチェスンしかいない。そう考え、ソンは刺繍靴をチェスンに渡すことに決めた。
 実のところ、今日はその靴を持参していたのだ。今日の午後はキム・ヨクは屋敷にいるはずだから、チェスンには逢わずともヨクに靴を渡して帰れば良い―そのついでにあわよくばチェスンの顔を遠くからでもひとめ見れたらと、やはり想い人に会えることを期待していなかったといえば嘘になる。
 けれども、幸運にも四つ辻でチェスンに遭遇した。チェスンが疾走してくる荷馬車を前に立ち尽くしているのを見たときは正直、肝が冷えた。ソンが助けに入らねば、大切な者が生命を落としていたかもしれないのだ。そんなことは考えたくもない。
 たとえ離れていても、チェスンが同じ都の空の下にいると考えれば、ソンは何とか持ち堪えられる。けれど、チェスンがこの世からいなくなったとしたら、ソンにも生きる意味はない。王は己れのために生きるのではなく、民のために存在するのだと理性では理解していても、やはり、愛する者を失った人生など、ソンには考えられなかった。
 半年ぶりに逢うチェスンは、随分と痩せて元気がないように見えた。餡餅を取ってやると、別人のように嬉々として食べ始め、これでこそソンのよく知るチェスンだと安心したけれど―。
 その癖、少しやつれた様がかえって初々しかった清楚な美貌にそこはかとなき愁いを添え、いっそ凄艶とさえいえる大人びた美貌になっていた。宮殿にいた頃のチェスンがまだ咲き初めたばかりの花なら、今は満開に咲き誇る大輪の花といったところか。
 ソンの視線は久方ぶりに見るチェスンにひき付けられっ放しだった。
 そんにチェスンを見ている中に、考えていたことをひとりでに口にしていた。
―シン・チェスンという妃が俺の後宮にはいなかったことにする。ゆえに、惚れた男と幸せになれ。
 チェスンのような人間は、自分のような狭量で我が儘な男には勿体ない。誰かもっと優しい、チェスンにふさわしい男がいるはずだ。
 これまで自分は彼を束縛ばかりしてきたし、酷い言葉で傷つけ、あまつさえ陵辱さえした。チェスンがもしハン内官を今も好きだというなら、彼はハン内官と幸せになるべきだ。
 ソンは覚悟を決め、チェスンに考えを告げた。チェスンが歓ぶだろうと身を切る想いで告げたのに、チェスンは何故か嬉しそうではなかった。何故なのか、ソンには皆目判らない。それとも、あれはあまりに急すぎたので、歓びを感じる余裕もなかったからだろうか。ソンにははなはだ不可解ではあった。
 チェスンの浮かない顔に気を取られて過ぎたあまり、清国渡りの靴を渡すのを忘れたことに気づいたのは、チェスンより先に飯屋を出てからである。まったく、どこまでも後手後手に回る自分が情けない。
 今更だとは思うが、この機会を逃せば靴を渡す機会はもうないかもしれない。清国の皇帝の遣いをしてやるつもりはさらさないけれど、この美しい靴をチェスンに見せてやりたいその想いが勝った。
 ソンは思い直し、踵を返してキム・ヨクの屋敷へと急いだ。男の沽券だ、王の体面だと言っている場合ではない。この靴を渡し、今度こそチェスンへの未練も想いもきれいにきっぱりと絶つべきときなのだ。
 自分の側にいることで彼が不幸になるなら、愛する者のために男ができることは一つしかない。決まっている。潔く諦めて、愛する者の幸せを遠くから祈れば良い。
 
 どこをどう歩いたのか判らない。気が付いたときには、今はもう馴染んだ屋敷の前に立っていた。とにかく心配しているであろうヨクに挨拶して、実家の父母は元気であったと伝えよう。
 チェスンは自分を無理に奮い立たせようとした。浮かない顔をして帰宅しては、折角、里帰りを勧めてくれたヨクに申し訳ない。寺詣でから戻っても元気がないチェスンを案じて、ヨクが里帰りさせてくれたのは判っていた。
 門をくぐり抜け、母屋に向かい歩きだそうとしたときである。ヌッと正面に立ちはだかった人影に、チェスンは小さな悲鳴を上げた。よくよく見れば人であるのは判ったけれど、最初は闇が凝って人の形を取ったのかと思ってしまったのだ。
 今夜は月もない闇夜だ。薄闇に眼が慣れるまで少しの時間が必要であった。眼が漸く慣れた時、チェスンは安堵の吐息を洩らした。
「ハン内官」
 だが、ハン内官の方は、どこかいつもと違った。
「誰と逢っていたんですか?」
 いきなり詰問口調で訊ねられ、チェスンは眼を見開いた。
「今日の里帰りには私も付き従う予定だったのに、私が所用で出かけている間に淑媛さまはお出かけになっていた。何故、私をお連れ下さらなかったのですか!」
 最近、ハン内官との間では、こんなやりとりが頻繁に交わされるようになった。チェスンはたまに町にお忍びで出ることがある。そんな時、目立つから伴は要らないと訴えても、ハン内官は聞き入れてはくれない。チェスンが出かける度に、ハン内官は必ずどこに何の目的で行くのかと、しつこく追及してくる。
 どこに行くにもハン内官の監視の眼が執拗についてくるようで、気詰まりなことこの上ない。
「ハン内官」
 チェスンは小さく息を吸い込み、薄闇の中でハン内官と向かい合った。
「私の行動を逐一、監視するのは止めて。それから、束縛するのも止めて欲しいの」
 何故なら、自分はあなたの妻でも恋人でも、ましてや家族でもないのだから。
 続く科白は辛うじて呑み込む。
「護衛官という立場上、あなたが私の身を気に掛けてくれるのは理解できる。でも、最近は仕事の領域を超えているのではないかと思ってしまうときがあるわ」
 出かける度に誰とどこにゆくのか、自分も付いていくといってきかない。ふりほどいて出かけたら、帰宅するや、どこに行っていたのか、誰と逢って何をしていたのかとしつこいほど尋問される。こんなのはもうご免だ。
 チェスンの言葉に、ハン内官がハッと息を呑んだ。それでも、優しいチェスンは自分が言いすぎたかと反省した。
 ハン内官はしばらく苦渋に耐えるような表情で立ち尽くしていた。
「俺の気持ちを淑媛さまはご存じのはずだ」
 ややあって、振り絞るように言う。チェスンはかすかに頷いた。
「確かに聞いたわ。けれど、あなたの気持ちに応えることはできないとも、はっきりと言ったはずよ」
 そして、あの時、彼は言ったのではなかったのか。チェスンが望まないなら、無理強いはしないと約束してくれたはずだ。
 口にはしなかったが、チェスンはそんな想いを込めて彼を見つめた。ハン内官は狼狽えたように視線を揺らす。
 うつむいたまま、彼は小さな声で続けた。
「地獄なんです」
 消え入るような声音をチェスンは聞き取れない。小首を傾げたチェスンに、今度は叫ぶように言った。
「地獄なんです! 毎日、手を伸ばせば届く距離に、あなたがいる。触れて、あなたを感じたいのに、あなたは私を近づけようとはしない。こんなのは地獄だ、我慢できません」
 身勝手な言い分ではあった。しかし、考えてみれば、チェスンにも非はあったのだ。ハン内官とこの屋敷で再会し告白されたあの日、彼をきっぱりと拒絶しなかったのはチェスンなのだから。
 王命で付けられた護衛官ゆえ、チェスンの独断で辞めさせられはしない。しかし、身辺に近づけないようにはできたはずである。なのに、チェスンはハン内官の恋情を知りながら、毎日、彼が近くにいることを許し、親しく語らい合いさえした。彼が訴えるように、報われぬ恋の焔に身を灼く身としては生き地獄に等しい苦痛であったかもしれない。
 今なら、チェスンにも彼の気持ちが判る。何故なら、チェスン自身がハン内官と同じで、けして実ることのない恋に苦しんでいるから。
 チェスンはハン内官に対して煮え切らない態度をとり続けた我が身を省みつつ、静かな声音で告げた。
「あなたの言うとおりだわ。今までの私は間違っていた」
 刹那、ハン内官の暗い眼まなこにかすかな光が点る。それは希望という名の光に違いない。
 チェスンは心を鬼にして言った。曖昧な態度を取り続ければ、かえって彼を傷つけてしまう。だから辛くとも言わなければならない。
 期待を込めた瞳から敢えて視線を逸らさず、チェスンは確かな口調で告げた。
「私はあなたの想いに応えられない。だから、あなたは私の側にいるよりはもっと別の生き方を見つけて。あなたは素晴らしい人よ、ハン内官。廃妃の護衛武士よりはあなたにふさわしい道、あなたの能力を活かす仕事を見つけるべきだと思う」
 ハン内官の瞳が絶望に染まった。あたかも奈落の底に続くかのような闇を宿した瞳がチェスンを射貫く。
「随分と持って回った言い方をされるんですね。私が邪魔になったのなら、はっきりとおっしゃれば良い」
「違う、邪魔だなんて思ってない」
 チェスンの声も高くなる。チェスンはこれからの長い生涯、ヨクの屋敷で世捨て人同然に送ることになる。ハン内官は武芸の腕も立つし、教養もある人だ。彼がその気になれば、その教養や剣術の腕を活かした仕事もできるだろう。
 チェスンは忠誠を尽くしてくれた彼に、自分と同じ埋もれた生涯を送って欲しいとは思わないその一心で彼に告げた言葉だったが、彼には体の良い逃げ口上にしか響かなかったようである。
「きれい事は止めて下さい。結局、あなたは俺が疎ましくなって、都合良く追い払おうとしているだけなんですから」
 ハン内官が吠えるように言い、力なく両脇に垂らした拳に力を込めた。