韓流時代小説 後宮秘帖~廃妃の復位-そなたは何故、俺を見てくれない?寵姫に逢えずに帰る王の涙 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮秘帖

 ~逃げた花嫁と王の執着愛~

  第三話  Temptation(誘惑)・後編

 

~こんな私があなたの側にいても良いのですか~

 

-それは「ひとめ惚れ」から始まった初恋だった-

二人が出会ったのは11歳。
王になるべくして生まれた少年と、謀略によってすべてを失い、苛酷な宿命を背負った少女。
孤独な魂を持つ二人は運命に導かれるようにして、出会った。

 様々な試練や障害を前にしながら、互いを想い合うがゆえに、すれ違い傷つき合う若い二人。
 果たして、二人は幼い日に芽生えた初恋を実らせることができるのか?

 

 登場人物
  イ・ソン(李誠)-後の国王・知宗  
  シン・チェスン(申彩順)-後の貞順王后(チョンスンワンフ)

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 自分でも不思議だと思った。チェスンと出逢うまでの彼なら、胸のふくらみもない平坦な男の身体など、誰が好んで抱くかと嗤っただろう。自分と同じ性を持つ同性などが恋愛対象には冗談でもならないと思っていた。よく美少年を男妾として囲う高官がいると聞いて、
―物好きなヤツだ。
 と、半ば軽蔑し、半ば呆れていたのだ。
 なのに、初恋の美少女チェスンが実は男だと判っても、ソンの烈しい恋情は変わらなかった。どころか、チェスンの清廉で優しい人柄を知るにつけ、ますます惹かれ溺れていった。
 彼と再会して、ソンは初めて知った。人を愛するのは性別とかに関わりなく、その人のすべてを好ましいと思うからだと。好きな相手と身体を重ねるのは単に性欲を満たすためだけではなく、相手のすべてを愛でたいと願う純粋な欲求に他ならない、と。
 女性のまろやかな肉体が欲しいのではなく、チェスンが相手だからこそ彼を欲しいし、抱きたいと思うのだ。
 チェスンを失ってからというもの、彼恋しさに身を焦がし、それでも気持ちにケリをつけたとのだとからと自分に言い聞かせて淋しさにも耐えた。けれども、もう限界だった。
 チェスンがいなければ、生きていても意味がない。美しい花を見ても蝶が舞う様を見ても、チェスンが隣にいなければ、それはただの灰色に塗りつぶされた景色にすぎない。
 ソンはいつしか自分が国王であるという責務さえ忘れ、死んでしまいたいと思うようになった。チェスンのいないこの世に生きていても、意味がない。
 そんな若い王を見かねた老内官長がある日、言った。その時、内官長は薬湯を寝所に運んできていた。情けないことに、前夜も色町で深酒をした挙げ句、二日酔いで寝込んでいたのだ。
―殿下、煎薬をお持ちしました。
 恭しく薬湯を運んできた内官長に、ソンはにべもなく言った。
―要らぬ。
―殿下の玉体は代わりのきかない大切なお身体です。どうか薬湯を召し上がって下さい。
 内官長の言葉に、ソンは煩そうに寝台で寝返りを打って背を向けた。
 と、クスリと忍び笑いが聞こえた。
―どうせ朕は聞き分けのない童のようだと言いたいのであろう。
 背を向けたまま憮然と言えば、内官長の笑みを含んだ声が返ってきた。
―頑是ない童は、妓房には行きませんし、二日酔いもしません。
 国王にこうも堂々と物申すのは、やはり宮殿の生き字引といわれる内官長くらいのものである。
―畏れながら、殿下。ひと言申し上げてもよろしいでしょうか。
―どうせ朕が黙れて申しても、そなたは自分が言いたいことを言い終えるまでは黙るつもりはないのだろう?
 少しの空白があり、内官長の声が響いた。
―手放したものを取り戻したいと思し召しなら、お心のままになされば良いのです。
― ―。
 ソンは押し黙った。内官長が何を言いたいのかは判ったからだ。
―私めの体験談でお耳汚しかもしれませんが、私も家内とは婚約時代に一度、所帯を持ってからは三度、別れると大喧嘩しました。一度は本当に離縁を申し渡したほどです。
―尚膳と奥方は今も語りぐさになるほどの大恋愛をして結婚したというのにか?
 領議政の令嬢が一内官と恋仲になり、父親に猛反対された末、真夜中に男の元に走り駆け落ち同然に結婚した―その話は当時、相当な噂になったそうで、今でも謹厳な内官長のどこにそんな情熱があるのかと、若い内官たちは寄れば噂しきりである。
―下世話に申すではありませんか、喧嘩するほど仲が良いと。
―さりとて、朕は淑媛に自ら廃位を申し渡したのだぞ。
 今更すぎることを言えば、内官長は事もなげに言った。
―王朝の過去の歴史を紐解いても、ひと度は廃位された王妃さま、側室を復位おさせになった王さまはたくさんおられます。
―復位―。
 ソンはガバと寝台に身を起こした。彼が呟いたのを内官長は聞き逃さなかったようだ。
―そういうのを巷では、よりを戻すとも申しますが。
 だが、ソンはすぐに力なく横たわった。
―だが、淑媛の気持ちはどうなる? あれは、朕が嫌で愛想を尽かして後宮を出たいと願ったのだぞ。
 ここでも海千山千、恋愛体験多しの内官長は意外なことを言った。
―さようでしょうか、殿下。
―それは、どういう意味だ?
 本気で問いかけた若い王に、内官長は孫に言い聞かせるような口調で言った。
―殿下は淑媛さまの本当のお心をご存じなのですか?
―淑媛の本当の―気持ち?
―これはあくまでも私めの推測にすぎませんが、淑媛さまは殿下のご寵愛を戴いても一向にご懐妊の兆しがないことを気に病まれておられました。もしや、そのことでご自分が殿下のお側にいてはならないと思し召したのではありませんか。
―そのようなことは淑媛自身からも聞いた憶えがある。されど、子のことについては案ずるなと幾度も申し聞かせたのに?
 小さな溜息が寝台の四方を覆う薄い帳越しに聞こえた。
―考えてもご覧になってみて下さい、殿下。殿下ご自身が淑媛さまのお立場であったとして、国王殿下より気にするなと言われて、それだけで済みますか? 世継ぎの有無は朝鮮国にとっては大きな問題であり、この国の根幹を揺るがす大事だと言っても過言ではありません。
―では、淑媛は朕のためにやはり身を引いたと?
―私めはあくまでも想像で申し上げたにすぎません。真実は殿下ご自身が淑媛さまにお逢いになって直接お聞きになってみてはいかがでしょう。
 内官長はそれ以上は何も言わず、ただ静かに立ち去っていった。彼がいるときに呑むのも癪なので、ソンは扉が閉まったのを確かめてから帳を巻き上げ、寝台から出た。枕辺にある紫檀の丸卓には盆が乗っていた。見るからに苦そうな茶色の煎じ薬と、口直しの甘い干菓子がそれぞれ器に収まっている。
 ソンが即位した当時から、内官長は決まって煎薬嫌いの王にその甘いお菓子を付けてくるのだ。ソンは寝台の縁に腰掛け、苦い液体を顔をしかめて一気呑みした。次いで、小さな干菓子を二個一遍に口に向かって放り込む。
 気のせいか、頭痛も少し治まったような気がした。
 チェスンの心は、一体どこにあるのだろう? 内官長の言うように、あれほどソンが説得したにも拘わらず、子が産めないことを苦に身を引いたのか? これまでソンはチェスンが自分に愛想を尽かしたから、出ていったのだと信じ込んでいた。ソンはチェスンを愛し過ぎるあまり、束縛して嫉妬ばかりした。そのあまり、初めて男を受け入れるチェスンの身体を顧みず、乱暴に開いた。そんなことがあって、お付き護衛官ハン内官に心を移し、彼と恋仲になったのだと考えていた。
―真実は違うのか?
 ソンは心もち首を傾げ、寝台に腰掛けたまま考えに耽った。
 そんなやり取りがあって、翌日、ソンは二日酔いも治まり、清々しい気持ちで王宮を出てきたのだ。けれど、そこからが悪かった。折しもソンがキム・ヨクの居室前に立った時、チェスンの愉しげな笑い声が聞こえてきた。
 刹那、ソンの脚はその場に縫い止められたように動かなくなった。盗み聞きするとは、それこそ王のするべき行いではないが、どうしても動けなかったのだ。そんな彼の耳には、チェスンとヨクのいかにも睦まじげなやり取りが嫌でも入ってくる。
 別段、それは恋人同士の甘い睦言ではなく、誰が聞いても、ごく普通の父娘の会話にすぎなかった。けれども、嫉妬と衝撃に呑まれているソンには、理性が既にきかなくなっていた。
 ソンは怒りと嫉妬で沸騰する心を持てあましたまま、居室へとなだれ込んだ。その後の展開は今ここで、自分でも思い出すのは厭わしい。彼は怒りに任せてチェスンに当たり散らし、あまつさえ、チェスンを荷物のように担ぎ上げて連れ去ろうとしたのだ。
 養父とはいえ、右議政も男だ。しかも、二人の間には血の繋がりは当然だが、ない。他の男と睦まじげに食事をしていることにも嫉妬したし、ソンの顔を見てチェスンが歓ぶどころか、怯えてヨクの背に隠れてしまったのも余計に怒りを煽った。
 だが、冷静になって考えれば、当然ではないか。あのときのソンは完全に我を忘れて逆上していた。嫉妬と憤怒で煮えたぎる心は、さぞかしソンの形相を凄まじいものにしていただろう。チェスンでなくとも怯えるに違いない。しかも、予告なく現れた王に、最初はチェスンばかりかヨクもひたすら愕いていたようだった。
 あれでは話をするどころではない。チェスンのソンへの印象はますます悪くなっただろうし、もし嫌われているのだとしたら、更に嫌われたのは間違いない。
―俺は最低だ。
 チェスンを初めて抱いたときも、似たようなものだった。ハン内官への嫉妬と二人の仲への疑惑がソンを激情へと駆り立てた。またしても、あのときの同じ過ちを繰り返してしまったということだ。それでも、ソンはめげなかった。
 どうしても、チェスンを諦められない。彼は再度、頭を冷やしてから今日、出直してきた。ただ一度で良いから、チェスンと話したい。もう一度だけ彼に己れの気持ちをきちんと伝えたい。
 その一心で今日も懲りずにここへ来たのだが―。情けないことに、先日の今日で、チェスンの顔を見る勇気がない。それでも、屋敷の奥から聞こえてくるチェスンの美しい声に引かれるように、彼は足音を忍ばせて歩いていった。
 けれど。やはり、来なければ良かったと後悔したのだ。彼が見たのは、ハン内官と愉しげに語らうチェスンだった。
 ソンの許には定期的にチェスンの身辺について報告が来る。これは何もソンが命じたのではなく、〝罪人〟とされる廃妃の動向はきちんと王に伝えられるべきものだからだ。いつの時代も同じことだ。
 その報告によれば、ハン内官はけしてチェスンに近づこうとはせず、二人が親しく語らう姿は一切ないということだったが―。たまに報告する者が廃妃側に籠絡されて、偽りを言うことはある。だが、チェスンに付けた者たちは内官、女官誰を思い浮かべても、そんな不心得者はいないはずだ。
 それとも、監視役の女官が見落としたでもいうのか。ソンは不審を募らせ、なおも近づこうと一歩踏み出した。その弾みに足下の小枝を踏んでしまい、パキリと小さい音がやけにしじまに響いた。
―しまった。
 ソンは焦った。それまでは腰までの高さほどの紫陽花の茂みに隠れていたのだ。
 彼は慌てて腰を屈めた体勢のまま、そろそろと後ずさりして後は後ろを振り向きもせず小走りに庭を走って屋敷の門を出た。門前の小道に人がいなくて幸いとしかいえない。
 呼吸がいつになく速かった。ソンはあまりの情けなさに、目頭が熱くなった。これが一国の王のするべきふるまいか?
 自ら別れを告げた元妻への未練が捨てきれず、こそこそと隠れて妻の様子を窺いに来た挙げ句、妻と間男がよろしくやっているのを見せつけられ、逃げ出すなど!
 ほんのひと刹那にすぎなかったのに、ソンの眼には先刻見たばかりの光景がまざまざと焼きつけられていた。
 はにかんだように微笑むチェスンは、向かい合うハン内官をほんのりと頬を染めて見つめている。対するハン内官は、しばらく見ない間に更に精悍な男らしさをましたようだ。男のソンが見ても感じるくらいだから、チェスンにはさぞ魅力的に見えるに違いない。

  ハン内官の瞳は、もう隠しようもない。宮殿にいるときはそれでも抑えていたのだろうが、チェスンが自由の身となった今は誰はばかることはない。彼のチェスンを見る眼には紛うことない恋情が溢れていた。
 結局、俺よりは、あ奴を選んだんだな。
 その瞬間、ソンの心を満たすのは烈しい嫉妬でもなく、ただ哀しみでしかなかった。
 ソンは肩を落とし、昼間でさえ人影のない小道をゆっくりと大通りに向けて歩き始めた。