別れましょう―告げた私に、逆上した彼が襲いかかる。そんな男ではないと信じていたのに 小説氷華~恋 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 氷華~恋は駆け落ちから始まって~

あの男と結婚したくないのでしょう?耳元で囁かれ、私は呆然とした。そう、私はまだこのとき、知らなかった。優しげに見えた彼が心底出考えていた怖ろしくて淫らな企みを。

 

 

 

「言葉のとおりです。新妻となったばかりのサヨンさまの髪を俺が結い、この簪を挿すんですよ」
 トンジュは当然の権利だとでも言いたげだ。
 サヨンはうつむき、唇を噛みしめた。
「ごめんなさい。この簪は受け取れないわ」
「どうして? 安っぽくて気に入りませんか?」
「そうではないの。とても綺麗だけれど、私にはこんなものを頂く資格はないから」
 トンジュが意外そうに眉をつり上げた。
「何故、そんな風に思うんですか?」
「私はまだ、あなたの奥さんになると言った憶えはないもの」
「では、今、ここで言えば良い。サヨンさま、改めて求婚しまてききす。俺の妻になって下さい」
 トンジュの表情は真剣そのものだ。サヨンは彼の顔から視線を逸らした。
「―無理だわ。トンジュ、私はまだ、結婚するという気持ちにはほど遠い心境なの。何もあなたがどうこうとはいうのではなくて、他の誰であっても、同じ応えを出していたと思うの。私は自分の父親を裏切る形で家を出た。そこまでしながら、まだ何も見つけてはいない。今の中途半端な自分が誰かと夫婦になって新しい生活を営んでゆけるとは思えないのよ」
「サヨンさまは、いつか言っていたではありませんか。ここに新しい村を作るのが新たな夢だと確かにあの時、はっきりと言った!」
「あなたのふるさとの話を聞いている中に、そう思ったのよ。かつてこの場所にあったのと同じような、人と人の温もりがある村、すべての人の心のふるさとのような村をまた作ることができればと思った。あの言葉に間違いはないわ。でも、それは所詮、あなたの夢であって、私の夢でない。トンジュ、私はこれから時間をかけて見つけていかなければならないの。お父さまが言っていたように、自分が何の役割を果たすために生まれてきたかを。そして、生きる意味を見つけ出すのは、誰でもない自分自身だと思うの」
 夢は誰かに見つけて貰うものじゃない、自分自身で探し出し、努力して現実に変えてゆくものなのよ。
 サヨンは小さいながらも、はっきりとした声で言い切った。
「同じ夢を見ながら一緒に歩いてゆくことはできないんですか?」
「―ごめんなさい」
 サヨンは小さく息を吸い込んだ。トンジュの自分への想いは本物だ。たとえやり方は間違っていたとしても、トンジュはサヨンだけを見つめ、真摯に求愛している。
 だが、彼の想いが本物であればあるほど、サヨンは安易な応えは返せないと思ったのだ。曖昧な気持ちを抱えたまま、彼についてゆくと返事はできない。
「謝らなくて良いんですよ」
 ややあって、ポツリと言った。
「お嬢さまに謝られたら、俺が余計に惨めになるだけだ」
「本当に申し訳ないと思っている。でも、今の私にはこんなことしか言えないの。判って」
 サヨンは踵を返し、家に戻ろうとした。
 と、突如として、トンジュが叫んだ。
「判らない。俺には判らないッ。ねえ、ちゃんと話しましょう。もっとよく話し合えば、サヨンさまも俺の気持ちを判ってくれるはずだ」
 サヨンは前方を見つめたままで静かに言った。
「話すことは、もうないわ」
「何でそんな残酷なことを言うんだ? 俺の気持ちが判っていながら、何故!」
「あなたは私を町に連れてゆくつもりも、ここから出すつもりもないのでしょう。幾ら話し合いを重ねたとしても、同じことの繰り返しになるだけよ」
「俺とは、まともな話し合いもできないと?」
 トンジュの顔が蒼白になっていた。
「どうせ俺なんか、話す価値もないと思っているんだろう! 何しろ、俺は賤民上がりの下男で、あなたは都一の大商人のお嬢さまだものな」
 トンジュは自分自身で自分を追いつめている。堪らず、サヨンは振り向いた。
「止めてちょうだい。私は、あなたの世間的立場とか身分に拘っているのではないわ。そんな風に、あなた自身の言葉で自分を追いつめるのは止めて」
「ヘッ、何を綺麗事を言ってるんだ。俺を追いつめ、苦しめているのは俺自身じゃない。今、俺の眼の前にいるあんただろう」
 唐突にトンジュの言葉遣いが変わった。これまでの控えめで丁重だったのが嘘のようだ。生まれて初めて耳にするぞんざいなで粗暴な言葉に、サヨンは柳眉をひそめた。
「トンジュ、今のあなたは少しいつもと違っているみたい。話し合うにしても、明日になってからの方が良いでしょう」
「いやだ!」
 怒鳴り声が響き渡った。
 トンジュは大股でサヨンに歩み寄り、彼女の両肩を掴んだ。
「話をするのなら、今だ」
「今は二人共に興奮しているわ。気が立っているときに話し合っても、かえって諍いの元になるだけじゃない」
 サヨンは何とかして自らを落ち着かせようと努力した。
「なあ、どうしてなんだ? どうして俺じゃあ駄目なんだよ? もう一度だけ、よおく考えてくれないか、俺の想いを受け入れてくれ、サヨン」
 トンジュがここまで親しくサヨンの名を呼ぶのは初めてのことだ。
 しかし、場合が場合だけに、そのことはかえってサヨンに不快感をもたらしただけだった。
 トンジュはサヨンの細い肩を掴み、烈しく揺さぶった。あまりに強く揺すったため、サヨンの身体は壊れた人形のようにガクガクと前後に揺れた。
「放して」
 サヨンはトンジュの逞しい身体を力一杯押し返した。
「俺には、ほんの指一本触れられるのは嫌だというのか!? 俺に抱かれるのがそこまで嫌なのか?」
 トンジュは完全に我を失っていた。サヨンは無意識の中に組み合わせた両手に力を込めていた。
「あなたの奥さんになるつもりはないのだと何回言ったら、判るの? 私はもう、こんな生活はいや。今までは、そうじゃなかった。あなたなりに気を遣ってくれているのはよく判ったし、私も何とか上手くやってゆけるのではないかと思っていたわ。でも、やっぱり無理みたい。あなたと私では考え方があまりに違いすぎる」
「何だと?」
 トンジュの端正な顔に怒気が閃く。
「もう一度言ってみろ」
 トンジュがサヨンの肩を再び掴もうとし、サヨンはトンジュの腕をふりほどいた。
「何度でも言うわ。私はあなたの奥さんにはならないし、あなたという男を理解できない。理解しようと私も少しは努力したけれど、考え方の違いすぎる私たちの間では理解なんて所詮、無理な話なのよ」
「お前までが俺をそうやって蔑むのか? 所詮は賤民だから、下男だから、話をする意味もないと―そう言うのか?」
 トンジュの両脇に垂らした拳が小刻みに震えていた。身じろぎ一つせず、懸命に冷静さを取り戻そうとしている。
「あなたは私の言葉を何一つ、まともに聞こうとしないのね。私はあなたの立場がどうこう言ってるのではないの。あなたという人間を理解できないと言っているのよ」
 サヨンはトンジュを哀しげに見つめた。
「ここまで言っても私の気持ちが伝わらないというのなら、もう本当に何を話しても無駄だと思うわ」
「サヨン、つれないことを言わないで、もう一度だけ俺に機会をくれないか。そうすれば―」
「もう、止めて」
 再び背を向けたのと、背後から抱きすくめられたのとはほぼ時を同じくしていた。
「畜生」
 罵声についで、耳を塞ぎたくなる罵りの言葉が聞こえた。
「何をするのッ?」
 サヨンは悲鳴を上げた。
 トンジュはサヨンを抱き上げ、大股で家に向かおうとしている。
「俺にこれ以上逆らえば、どうなるか判らないと俺は言ったはずだ。必ず後で俺を怒らせなければ良かったと後悔するようなやり方でお前を罰してやるとも警告した」
「私を―どうするつもりなの?」
 一瞬、殺されるのだと思った。