好きだ、放したくない―優しかったあなたが力尽くで私を押し倒すの?  小説 月下の契り~想夫恋を聞 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 月下の契り~想夫恋を聞かせて~


 薫子は押し黙った。確かに彼の言うとおりだ。三日も意識不明になる怪我は下手をすれば死に繋がっていた。そんな大けがをしてまで、芝居を打つだけの意味はない。彼自身も自分の帝という立場は重いものであり、けして我が身一人の生命ではないと自覚はしていたろう。
 まさか帝の御名の〝承平(つぐひら)〟が〝承平(しようへい)〟だとは考えだにしなかった。
 承平は溜息をついた。
「ただ、二度目にそなたの前に現れたときは意図したものだった。薫子が橘氏の姫だと知っていた」
「それで、私をやはり、利用しようとしたの?」
「それは違う。入内を強制したのも、そなたが橘の姫だということとは関係ない。俺がどうでもそなたを欲しかったから、後宮に入れようと思った」
「そんなのはどうとでも言える。私があなたに騙されていたことに変わりはないのよ」 
 さよなら、短いひと言を残して身を翻した時、承平の声が追いかけてきた。
「どこに行く?」
「屋敷に戻るわ。当然でしょ、こんなところにいる必要もつもりもないもの」
「お願いだ、側にいてくれ」
 承平の声に懇願のような響きがあるのは気のせいだろうか? だが、一度失った信頼は取り戻せないし、壊れた関係は修復はできない。
「私じゃなくても、あなたの夢と理想を果たしてくれる姫君はきっと他にいるわ、主上」
 後ろは振り向かないまま言い残し、扉を開けて出ていこうとしたその時、背後から急に抱きすくめられた。
「行くな、頼むから、俺を一人にしないでくれ」
「放して」
「放さない、薫子が俺の側にいると言うまで、放さない」
「他人の気持ちは権力や力では好きにできないって、いつか話したでしょう」
「俺は帝で、そなたは後宮に入った俺の妃だ。俺はいつでも薫子を好きなようにできる」
「あなたって最低」
 薫子は承平の腕から逃れようと暴れた。
「これ以上、失望させないで、あなたを嫌いにさせないで」
「俺を嫌いだなんて、二度と言わせるものか」
 次の瞬間、我が身に起きたことが信じられなかった。ふいに横抱きにされ、身体が浮いた。猛禽類が捕らえた獲物をねぐらへ運んでいくように、御帳台に運ばれてゆく自分を薫子は悪い夢を見ているような気がしていた。
 乱暴に身体を投げ落とされ、初めて我に返った。
「承平さん、何をするの?」
 声に怯えが滲んでいた。承平が御帳台の帳をすべて降ろすと、狭い内側は光射す朝でもなおほの暗くなった。
「何をするかって? 決まってる。これから俺は薫子を抱くんだ」
「え―」
 言葉の意味を飲み込めないまま、視界が反転した。押し倒され、のしかかられて初めて自分がどれだけ危険な状態に陥っているか自覚できた。
「いやっ、どうしてこんなことするの? 承平さん、お願いだから止めて。私、こんなのはいや」
 涙が溢れた。承平とは町の家で幾夜も共に過ごした。その間、彼は紳士的に接してくれたし、何もなかった。なのに、どうして急にこんなことになってしまったのか。
「煩いっ、大人しくしろ」
 唇を塞がれ、懲らしめのような接吻(キス)が延々と続いた。
―苦しい、呼吸ができない。
 息苦しくて両手で突っ張ってみても、承平の逞しい躯はビクともしない。あまりの苦悶に小さく呻けば、それさえも男の欲情を煽っただけだった。 
 身に纏った衣を脱がされてゆく。
「ええい、邪魔だ」
 苛立った声が聞こえ、ビリっと嫌な音が響いた。承平が残った衣を裂いている。胸許をくつろげられ、首筋に唇を押し当てられた。
「いやっ、止めて、お願いだから、許して」
「こんなに着込んでいたのでは、そなたの身体に触れることも見ることもできぬ。女官を呼んで、この邪魔な衣をすべて脱がせてしまおうか」
「止めて、許して」
 薫子は涙を流しながら、承平を見上げた。
「嘘でしょ、承平さんはこんなことはしないもの。優しくて、いつも私が嫌がることなんてしたことはないのに。お願いだから、止めて」
「そのような色っぽい眼で見られても、逆効果だ。一度抱けば、そなたも大人しくなるだろう?」
 承平は一度、御帳台から出ていった。本気で女官を呼んで、残った衣を脱がせるつもりなのだ。全部脱がされてしまったら、おしまいだ。それに、こんな乱暴されているところを誰かに見られたくない。
 その一心で薫子は御帳台から逃れ出た。
 誰もいない。逃げるなら今だと思い引き裂かれてしまった衣を手に持ち、引きずるようにしながら広い室を入り口へと走った。
「おい、どこに逃げるつもりだっ」
 承平の熱に浮かされたような声が迫り、薫子は悲鳴を上げた。
「いやーっ。助けて。誰か、来て」
「承平さん―」
 泣きじゃくりながら、薫子は思った。これはきっと悪い夢だ。あの優しい男が、大好きな男がこんな酷いことをするはずがない。
 だが、現実に承平は薫子を荷物のように肩に担ぎ、また御帳台に連れてゆこうとしている。
 承平さんが私に姉上の喪明けも待たずに入内を命じたのは、こんなことをするためだったというの―。それがとても哀しかった。私は玩具じゃない。こんな風にいやだと訴えているのに、暴力で身体を思い通りにしようとするなんて。
 承平が薫子の身体を御帳台に引き入れようとしていたときのことだ。
「主上ッ」
 父の声が外で聞こえた。承平が舌打ちして、薫子の口に布を押し込んだ。
「うぅ―」
 あまりの残酷な仕打ちに、薫子は涙の滲んだ瞳で承平を見上げた。緊迫の中、二人のまなざしが交わった。どこまでも冷ややかで酷薄ささえ滲ませた彼の瞳の奥底に揺らめくのは相反する情欲の熱い焔だった。
 その冷たい焔が今、薫子を身体ごとすっぽりと包み込み、芯から灼き尽くそうとしている。だが、薫子は確かに見た。まなざしが交わったその瞬間、彼の切れ長の双眸が苦しげに細められたのを。
 とはいえ、それはほんのひと刹那のことで、切なげな表情はかき消え、美麗な面はまたすぐに氷のように美しくも凄艶な微笑を刷いていた。
 薫子は彼の手の拘束が緩んだのを見計らい逃れるのに成功した。
「待て、待たぬか!」
 承平が血走った形相で追いかけてきたが、彼が薫子を捕らえるのより室の戸が開く方が少し早かった。
「主上、ご無礼仕ります」
 橘諸綱が入ってきた。折しも逃げてきた薫子と諸綱が遭遇することになった。
「何と」
 流石の諸綱も絶句している。綺麗に十二単を着せ付けられ、化粧をして送り出されたはずの薫子は何枚もの衣を脱がされ、あまつさえ、一番上の片袖は引き裂かれていた。合わせはしどけなく緩み、豊かな胸の膨らみと谷間が少し覗いている。
 泣いたため化粧は取れていて、綺麗に梳られたはずの長い髪は乱れていた。
 薫子は父の腕の中にかくまわれた。諸綱は娘の口から布を取り出し、腕に抱きしめた。
「これはいかなることにございましょう。主上は娘がその気になるまで待つと仰せではありませんでしたか!」
 薫子は諸綱の腕の中ですすり泣いていた。帝から尚侍の衣をすべて脱がせるようにと命じられた女官が異変を察知し、薫子の父諸綱に知らせに走ったのである。
「この者は既に朕の女だ。そなたに口出しをされる憶えはない。疾くこの者をここに置いて去れ」
 冷たい声は背筋が凍るかと思うほどだ。あの優しい承平のどこにこんな残酷さが隠れていたのか。
 が、諸綱も引き下がらなかった。
「可愛い娘が嫌だと泣いております。たとえお相手が帝だとはいえ、娘の意に反して陵辱するような男に娘を引き渡すことはできません。不忠にお怒りならば、この諸綱をいかようにもなさって下さりませ」
 承平が呟いた。
「好きだ。誰にも渡したくない。手放したくない。さりながら、薫子は朕をもう嫌いだと言うのだ。愛しい者を手の内にとどめておくには身体を朕のものにするしかなかった」
 諸綱が静謐な声音で言った。
「本当に相手を愛しいと思うなら、相手の意に反するようなことをするべきではありません。一国を統べる方が、国の父である御方がそのようなことで、国を治められましょうや? 他人の心はたとえ権力や暴力でもってしても、自由にすることはできないのですよ」
 諸綱がまだしゃくり上げる薫子の肩を抱くようにして出てゆく。静かに扉が開き、締まった。帝はその場に座り込み、両手で顔を覆った。
―他人の心はたとえ権力や暴力でもってしても、自由にすることはできないのですよ。
 この父娘は口を揃えて同じことを言う。
 そうだ、そのとおりだ。力でもって女を征服したとしても、心までをも手に入れることはできない。かえって、女の心はますます離れてゆき、愛想を尽かされるだけだ。
 この時、帝は初めて諸綱に感謝した。
―諸綱が生命賭けで止めなければ、俺は薫子を本当に犯していただろう。
 挙げ句、薫子には振り向いて貰えるどころか、一生憎み嫌われ続けることになっていた。
 俺は最低のことをした。これでは、もう薫子に嫌われたとしても仕方がない。
 二十歳という若さが、好きな娘に振り向いて貰えないもどかしさが烈しい恋情と劣情となって帝を駆り立てた。しかし、諸綱の指摘するとおり、言い訳ができるような行為ではなかった。