二つ目。ここからが本題です。
ところで、私、昨日の記事に4月29日がみどりの日だと書きましたが、
昭和の日でしたね。
ああ、恥ずかしい。昨日、ふとスケジュール帳を見ていて、間違いに気づきました。
さて、昨夜は珍しいことに大河ドラマ 義経のDVDを見ました。
たまーに大河ドラマを借りて見ることがあります。
ただし、全部、昔の作品ばかりです。
こんなことを言うと、大河ファンの方にお叱りを受けそうですが、私もかつては
大河ドラマの大ファンでした。
本当にもう何を見なくても週に一度の大河だけは欠かさず見るくらい好きでした。
しかし、江~姫たちの戦国を最後に見なくなりました。
江は私が楽しみに見た最後の大河です。
翌年の清盛も八重の桜も全然期待ハズレでした。
最初は期待して見たのですか、どうにも面白くなくて一、二度で止めてしまいました。
今年はもう最初から見てません。
もしかしたら面白いのかもしれませんが、気力がなくなりました。
昔の大河は本当に良かった。
義経を改めて見ても、主演のタッキーはもちろん、清盛役の渡瀬恒彦さん
をはじめ、役者さんの重みが違う。
重厚感というか存在感とでもいうのでしょうか。
今の大河にはあまりそれが感じられないような気がするのです。
ああ、また話が逸れてしまいました。
別にこんなことを言いたいのではないんです。
大河ドラマは姫たちの戦国まではすべて見ました。
欠かしたものはありません。その中でもとりわけ印象的なのは
草燃えるです。これは私が中学一年のときの放映です。
☆ 源頼家役は郷ひろみさんでしたね。
頼朝の嫡子として生まれながら、何故か外祖父の時政や生母政子と折り合いが
悪く、妻の実家、つまり外戚比企一族を重用したため、
在職わずかで廃され、幽閉、後に暗殺されたともいわれる悲劇の将軍です。☆
実は、このドラマが私に歴史への扉を開いてくれました。
頼朝の娘大姫と木曽義高の悲恋、これが12歳の私の心をもの凄く揺さぶりました。
大姫の義高の悲恋については、また語ると長くなるので、後日にします。
とにかく幼心に歴史には物語よりも物語的な出来事があったんだ
と感じたことが、歴史にめざめるきっかけをくれたのです。
し゜ゃあ、そういう出来事を自分で何かお話にしてみたいと考えたのが
小説を書くきっかけになりました。
当時はまだ小説ともいえない、物語りのようなものだったと思います。
とにかく最初に書いた小説らしきものは、鎌倉を舞台にした作品でした。
大姫が主人公ではなく、大姫の妹という架空の人物を設定して
大姫が遂げられなかった後鳥羽天皇への入内をその妹が果たすという
筋書きでした。
後に二十歳を過ぎてから、その話は改めて小説化し直しました。
残像~宜秋門院季子の生涯 というタイトルです。
そういうわけで、私は実は、鎌倉時代、しかも頼朝や政子、義経の時代から
出発しました。それから江たちの戦国時代へと興味は移り、更に江戸時代の大奥
へと移っていったのです。
なので、草燃えるは私には忘れられないドラマです。
今回、ふとこの懐かしいドラマを見てみたいと思ったのですが、
私の行くツタヤには残念ながら、ありませんでした。
代わりに同時代の作品として、タッキーの義経があったのです。
何故、この時代のドラマを見てみる気になったのか?
まだ到底、何も固まっていない状態なので何も言えないのですが、
久しぶりに原点に戻りたいと思ったのが理由です。
私の創作の原点となった鎌倉時代、しかも頼朝、義経の時代。
もう一度、私なりにここら辺りを見つめ直してみたいかな~。
その中にまた放映されている大河ドラマも見てみたいと思うようになるかもしれません。
気の向くままに、興味の向くままに、しばらくは心の放浪? を
続けてみようと思います。