香花がさらわれる! 光王は必死でその行方を追うが-。小説 月下にひらく華~切なさの向こう側~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

第4話 ユン家の娘


 光王の言うように、夫人は明らかに異常だった。一見、何もないようにも見えるけれど、香花に出した薔薇茶について訊ねた時、
―お前が作ったのではないか。
 と、呆れたように言っていた。
 あれは、夫人が亡くなったという娘と自分(香花)を取り間違えていたからこそ、起きたことだ。
 思うに、夫人の中では、時々現実と空想が一緒になってしまうのではないか。夫人はまだ愛娘の死を受け入れられていない。そのため、まだ娘が生きていると信じたがっている心がして夫人に娘が生きているときと同じようにふるまわせているのだ。
 夫人にはそれが自然でも、周囲の眼にはその行動はさぞかし異様に映っているだろう。
 夫人は夢―即ち、亡くなった娘が生きている信じている世界と現実―娘が死んだという事実を不承不承認めている世界を行ったり来たりしている。夢の世界に閉じこもった時、奇異な言動が起きるのだ。
 また、彼女の強引さも少し気になった。香花を養女にと言い出したときの強引さは、少し怖いくらいだった―。もし、あの場に県監が現れなかったら、香花は無事に帰して貰えたかどうか。そう思うと、流石に、香花ももたあの屋敷に脚を向ける気にはならなかった。
 女中のソンジュが門の外まで送ってくれた時、香花はよほど夫人の心の病について訊ねてみようかと思った。だが、結局、止めた。
 よく教育された女中は、けして自らが仕える屋敷内の内情をぺらぺらと喋ったりはしない。また、迂闊に喋って、そのことが主人に知れれば、その女中自身が酷い折檻を受けることになる。
 見たところ、ソンジュは口が固く、信用のできる賢い娘のようだ。香花が訊いたからといって、けして主家の恥じになるようなことは言わないだろう。
 とにかく、今からでも遅くはない。もうこれ以上、あの夫人とは拘わり合いにならない方が良い。香花は漸く、光王の言葉は正しかったのだと納得するに至った。
 その日、香花は光王にどうしても隣村のユン家の屋敷に行ったことを話せなかった。いつもなら、夕方、仕事を終えて帰ってきた光王に色々とその日の出来事を話すのだが、半月前の約束があるだけに、話しそびれてしまったのだ。
 後々、そのことをどれだけ後悔することになるか、知りもせずに。
 
夢の終わり


 十月に入ったまもないある日、香花はいつものように、隣の朴家に産みたての卵を届けに出かけた。その帰り道、少しだけ脚を伸ばして、例の石榴の樹がある場所まで行ってみた。
 数本仲好く並んで植わっている石榴は相変わらず、紅いよく熟れた実を重たげに実らせている。香花はまず最初の一個を道端の観音像に供え、それから卵の入っていた籠に収穫した石榴を入れていった。小さな籠はすぐに山盛りになった頃、香花はそろそろ引き返そうと踵を返した。
 今夜の夕飯には少し変わったデザートが並ぶことになりそうだ。光王の愕いた顔、歓ぶ顔が眼に浮かぶ。果肉をよく煮て、蒸し饅頭の中に入れても美味しいだろう。色々と心躍る空想が飛び交い、香花は少し離れた後ろからついてくる脚音に気付かなかった。
 大抵なら、どんな小さな物音でも逃さず聞き取れる香花だが、このときばかりは迂闊だった。どうやら、この付近には栗の樹もあるらしく、細い道の所々には、まだ
イガに包まれた栗の実まで転がって
いる。それらを立ち止まって拾い
籠に放り込みながら、山盛りに積
まれた石榴を一個手に取り、力を
込めて割ってみる。
 既に熟れすぎて少し弾けている実なので。、素手でも容易に割れた。中には紅瑪瑙を思わせる透き通った小粒がぎっしりと詰まっている。香花はひと粒ひと粒を口に入れながら、ゆっくりと歩いた。少々お行儀悪いが、この際、誰も見ていないのだからと言い訳する。
 香花は頭上を仰ぎ、樹々の発散する香りを胸一杯に吸い込む。時折、小鳥の啼き声が長閑に響き渡り、道の両側には早くも紅葉を始めた樹も見受けられる。
 空気が澄んできたせいか、遠くに見渡せる山々も夏とは違って、くっきりと立ち上がって見えるようだ。
 と、香花は妙な音に気付いた。少し後ろから、脚音が付いてくる。香花は立ち止まり、全神経を耳に集中させた。明らかに、誰かが自分の後をつけてきている。
 そう思うと、得体の知れぬ恐怖が湧き上がり、膚かが粟立った。香花は脚を速めた。すると、後ろからついてくる脚音も速くなる。すっかり怖くなり、香花は全速力で駆けた。
 彼女がひた走り始めるやいなや、追跡者も速度を上げ、ピタリと後を付いてくる。
―どうしよう。
 ソロン村まで続くのはこの道だけで、生憎と一本道だ。途中で枝分かれした細道がないわけでもないが、迂闊に細い道に入れば、更に相手に袋小路に追いつめられる可能性もある。
 走りに走った香花は、途中で樹の根っこに足を取られた。幾本もの樹が網の目のように重なり合って複雑に絡まり合っていて、それが地上に浮き上がっているのだ。
 香花の身体が傾ぎ、彼女は前のめりになって派手に転んだ。弾みでチマが汚れてしまったが、そんなことに頓着していられない。
 ああ、どうしたら良いの?
 心ばかりが焦るが、手の打ちようがないのだ。
 とかにく追っ手を振り切って逃げるしきかない。それにしても、一体、追跡者は誰なのだろう。良家の令嬢というわけでもなく、豪商の妻としいうわけでもない。誘拐したとて、身の代金など要求できもしないのに。
 流石に走り続けて、息が上がっている。このまま倒れ伏して休みたいと思うほど、付かれていた。
 折角取った石榴や栗は転んだときに、籠ごと地面に落ち、四方に散らばってしまっている。もう拾い集めるだけの気にもなれなかった。それでも、逃げなければと気力を振り絞って、ようよう起き上がった香花の瞳に映じたのは、一人の大柄な男だった。
 頭に布を巻き、薄汚れた身なりをしている。どかのお屋敷の下男といったところか。むろん、見憶えのない顔である。縦も横も尋常でなく馬鹿でかく、香花がまともに立ち向かっても、所詮は力でねじ伏せられることは眼に見えていた。
 でも、これって―。
 そこまで考えて、香花はハッとした。道のゆく手を塞いだ大男に対して、背後から追っ手きたのは―。
 慌てて振り返ると、いつのまにそこにいたのか、若い男がこれまたゆく手を遮るかのようにヌッと突っ立っている。こちらも大男と変わらない格好をしている。どちらも怖ろしいほど無表情だが、獣が追いつめた小動物を逃すまいとするように威嚇の体勢を取っている。
 香花は記憶の糸を懸命に手繰り寄せた。大男は知らない貌だが、背後のひょろ長い男は、どこかで確かに見たことがあるはずだ。
 そう、あれは確か。
 記憶の底から漸く浮かんできた顔と眼前の男の顔が一致した時、背後から分厚い手のひらで口を覆われた。
「う―」
 香花は渾身の力でもがき、抗った。しかし、哀しいかな、大の男にはかなわない。
―光王、光王、助けて!!
 香花は心の中で愛しい男に助けを求めたが、ここから遠く離れた町にいるはずの光王にその声が届くはずもなかった。
 どこに隠していたものか、用意周到にも、立派な輿を担いだ男たちが現れる。最初の二人の男は手早く香花の実の動きを封じた。猿轡をかまされ、手脚も縛られた状態の香花は、そのまま輿に放り込まれた。
 輿が物凄い速さで動き出す。閉じ込められた香花は無駄な抵抗と知りながら、懸命に手脚を動かそうとしてみるが、微動だにできなかった。
―光王、光王ーッ。
 香花は逃げ出そうとするのにも疲れ果て、やがて、ゆっくりと意識を手放した。
  
 香花が何者たちかによって連れ去られたのと同じ頃、光王は町外れの酒場にいた。大昔(当人は大昔ではなく、ほんのちょっと昔だと言う)に妓生をしていたという初老の女がやっている場末の酒場だ。都にもこれと似たような酒場は幾つもあった。
 戸外に簡素な作りの小卓と椅子を並べ、客はそこで酒肴をつつくという仕組みになっている。昼間は酒だけでなく、飯も食べさせてくれるので、働く男たちにとっては、こういう店はありがたいのである。
 丁度、ひと仕事終えたのが昼時だったゆえ、馴染みのこの店に来たのだ。大抵、光王はここで昼飯を食べる。言わば、常連である。
「光王、妹とはその後、どうなってるんだい?」
 注文した丼飯を運んできた女将が意味ありげな流し目をくれる。
 この女将は気っ風も気前も良いが、困るのは、年甲斐もなく(?)、光王に秋波を送ってよこすことだ。かれこれもう六十近いというのに、元気すぎて困る婆さんである。
「―妹?」
 素っ頓狂な声を上げかけ、慌てて口を押さえる。
「あ、ああ。香花のことか」
 この店には、香花も何度か連れてきたことがある。だから、女将も香花を知っているのだ。
「あんたみたいな浮ついた男には勿体ないほど、真面目そうな娘じゃないか。色男ぶるのも良いけど、初な娘を引っかけるのもたいがいにしなよ。あんたみたいなすれた男には、所詮、あたしのような玄人女がお似合いだよ」
 と、満更、戯れ言でなく本気で言っているのが少々怖い。
「何を惚けたことを言ってるんだ。妹相手に、引っかけるも何もないだろうに」
 光王が軽く受け流すと、女将がにんまりと笑う。
「他の連中は騙せても、このあたしが騙せるとお思いかえ? こう見えても、この世界で五十年生きてきたんだ。真実を見極める眼はちゃんと持ってるさ」
 真実を見極められる眼を持つというのなら、願わくば、自分の年齢を自覚して、息子どころか孫のような歳の男に色目を使うのは止めて欲しいものだ―。と言いたいところだが、止めておく。
 こういった酒場の女将とは気心を通じておけば、いざというときに役立つものなのだ。
 砂を隠すには砂浜に隠せ。昔からの諺にもあるように、何者かに追われた時、逃げ込む場所を作って おくことは必要不可欠だ。意外に、こういう店に実を潜めると、役人を初め追っ手には見つかりにくいのだ。
「判った、判ったよ。また、今度、妹も連れてきて、女将に挨拶させるから」
 光王が頷くと、女将がつつと身を近づける。
 咄嗟に、光王は身を退いてしまったが、眼前に迫った女将の顔が引きつっているのに気付く。
「な、何だよ?」
 だが、光王の心配は今回に限り、大外れとなった。女将の表情が冴えなかった原因は直に判った。
「もう十日以上は前になるかね、何だか思いきり妖しい奴らがうちの店に来た」
 声を潜めているのは、他の客をはばかるからだ。
「何だって、妖しい奴らだって?」
 光王の眼が剣呑な輝きを帯びる。
「一体、どこの誰だと思う?」
 女将は薄い胸(〝大昔はこれでも豊かだったんだよ、あたしくらい豊満な身体をした妓生はいなかったものさ〟と自慢している)を得意げに反らした。
 応えようとしない光王に、女将がニッと笑う。
「―何が交換条件だ?」
 上目遣いに見上げた光王に、女将が片眼を瞑った。