使道サドの悪政に苦しむ町の民、義賊光王の怒りが燃え上がる!小説 月下にひらく華 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第2話 燕の唄


「元々、あの親方は気難しい職人肌の男で、正義感も人一倍強かった。まかり間違っても不正などに手を貸すような人間じゃなかった。でも、使道が赴任してきてからというもの、親方の一人娘をえらく気に入ってな、側妾に欲しいと矢のような催促だったんだ。でも、親方は女房に先立たれてから、ずっと男手一つで娘を育ててきたんだ。親子どころか、孫と子ほどに歳の違う好色親父に大切な娘をおいそれと差し出せるものかね。それで、使道は親方にある条件を出したんだ。娘の代わりに、自分に手を貸せとね」
 つまり、娘を諦めてやる代わりとして、偽の玉石で拵えた装飾品を作り、高値で売れと命じたのである。
「全く、酷え話だろ? 権力を傘に着て、傍若無人にふるまうってえのは、まさにあの使道の奴のことを言うんだよ」
 老人は憤懣やる方ないとでも言いたげに皺だらけの眼を怒らせて言った。
「なるほど、で、このノリゲはその親方の工房で作ってた本物ってわけだね?」
「ああ、親方は根っからの職人だったからな。使道に脅されて、渋々、偽物を作ってはいたが、やはり、職人の誇りってやつがそれを良しとしなかったんだろうよ。閉めた工房に役人が押収に入ったら、そりゃあもう見事な本物が一杯見つかったって話だからな。役人はその品々を自分の懐に収めて、方々に売っ払った。うちが今、扱っている品物の中にも何点かはそこから流れてきたものがあるよ」
「それで、その娘さんは、どうなったんですか?」
 香花は横から恐る恐る訊ねた。
 老人が溜息をつき、世にも哀しげに首を振る。
「死んじまったよ」
「―そんな」
 香花が息を呑むと、光王がやるせなさそうに言った。
「香花、考えてもみろよ。親方が亡くなって、好色な使道が眼をつけてた娘をそのままにしておくと思うか?」
 香花は唇を噛んだ。確かに光王の言うとおりだ。恐らく、親方の死後、使道は娘を側妾にしようとしたに違いない。そして、娘は自ら生命を絶った―?
 香花の想像は少し違っていた。一人娘はやはり、父の死後は望まれて側室として使道の屋敷に迎えられた。意に添わぬ日々の中で娘は、すぐに身籠もったが、産み月少し前に死産し、肥立ち良からず亡くなったという。
「親方も娘も結局は使道に殺されたようなものだ。顔だけでなく気立ての良い優しい娘だったのに、あんなことになっちまってよう、儂はあの男が殺してやりたいほど憎いよ」
 老人の言葉に、光王が何気ない風で訊ねる。
「使道ってえのは、そんなに酷い野郎なのかい」
「大っぴらに口にする者はいないが、この町だけでなく近隣の村々にも使道を憎んでる奴はごまんといるさ」
 老人は当然だと言わんばかりに応えた。
「ところで、このノリゲはどうするね? お前さんと親方の話をしたのも何かの縁だ。どうせ儂は親方の不幸を種に儲けようなんて考えちゃおらんから、良かったら、持っていきな」
「これだけの品をただでくれるのかい、爺さん」
「ああ、欲しけりゃ、持っていくが良い。お前さんらのような人に持っていって貰えるのなら、これを作った親方も満足するだろう」
 老人は皺だらけの顔に埋もれた細い眼をしばたたかせた。
「儂が使道を許さないと思うのは、何もそれだけじゃない。お嬢さん、使道に側妾となった親方の娘がどのような末路を辿ったか、想像ができるかね」
 今度の問いは香花に向けられたものだった。
 香花が小さく首を振ると、老人は遠い眼になった。
「女心とはげに不思議なもので、娘は、あんな男でも使道の屋敷にいる中に次第に使道を男として慕うようになったらしい。しかし、娘が身籠もった挙げ句に儚くなっても、使道はろくに哀しみもしなかったよ。すぐにまた新しい若い女を連れてきて、その側妾に夢中になっておる。卑劣な手段を用いてまで手に入れた女だというのに、涙どころか哀しげな顔すらせぬ。薄情な奴め」
「本当に酷い話だな」
 光王は顔をしかめ、袖から巾着を取り出すと、銭を老人の手に握らせた。
「だから、儂は銭は要らないと―」
 言いかける老人に、光王は薄く笑った。
「たいした額じゃない。良かったら、亡くなった親方と娘の供養でもしてやってくれ」
 光王は老人から瓢箪のノリゲを受け取りながら言った。
「あんたは、この町の人間じゃねえな?」
 老人の問いにも、光王は動じることなく頷く。
「ああ、都から来たんだ。なかなか良いところなんで、腰を落ち着けようと思ってる」
 その応えは老人をいたく満足させたようだ。老人は眼を細めて幾度も頷いた。
「そうか、確かにこの町は棲み易い、皆、人情も厚い連中ぱかりだしな。良い町だったよ。あの使道が赴任してくるまでは」
 どうやら、言葉どおり、この老人は使道に相当の遺恨を抱いているらしい。
「ま、あと二、三年もすれば、使道の任期も明ける。そうなれば、あのろくでなしが都に帰り、新しい使道が来るだろう。今少しの辛抱だ。もっとも、次に来る使道までとんでもない奴かもしれないが」
 老人はほろ苦く笑う。
「お前さんたちはまだ若いんだ。旅暮らしも気ままで良いかもしれんが、早く腰を落ち着けて、子どもでも作った方が良いぞ。あんまりにも若いんで、つい、お嬢さんと呼んじまったが、奥さん、あんたに似た器量良しの子どもを山ほども産みなさい。子どもは、多ければ多いほど良い」
 最後はそれまでの深刻な話しぶりが嘘のように、愉快そうに声を上げて笑った。
「―違います!」
 香花は我知らず大声で叫んでしまった。
 老人が細い眼を見開いている。
「あ、あの。いきなり大きな声を出したりして、ごめんなさい。でも、私たち、違うんです。夫婦じゃありません」
 香花が口ごもりながらも、きっぱり否定する。何故、老人のこのひと言にここまで過剰反応するのだろう。頬が紅くなっているのが自分にも判る。
 老人が眼をパチパチさせながら、香花と光王を交互に見た。
「そうかい、夫婦じゃないのか。いや、済まんのう。年寄りのとんだ勘違い、早合点か。儂はてっきり、お前さんたちが仲睦まじい夫婦かとばかり思ったがのう」
 老人はまた声を上げて笑った。
「こいつは俺の妹だよ、爺さん」
 光王が言う傍らで、香花も頷いた。
「そうなんです、妹、妹!」
「爺さん、それじゃ、俺たちはこれで失礼するよ。縁があったら、また逢おう」
 光王が軽く片手を上げ背を向けるのに、香花も慌てて軽く頭を下げ、その店を後にした。
「ふむ、どう見ても兄妹というよりは夫婦に見えるが」
 遠ざかる二人を見ながら、老人はしきりに首を傾げていた。

 香花は思わず手のひらで頬を撫でた。頬だけでなく、身体中が熱い。
 光王がさっさと先に立って歩くから、今の自分の赤い顔を見られなくて済むのがありがたい。
 それにしても、漢陽を出てからというもの、光王と旅を続けている間に夫婦と間違われてたのは、これで何度目になることやら。夫婦でなくても、恋人同士だとか許嫁だと勘違いされたことも再々だ。
 宿屋に泊まるときには別々の部屋を頼むのが常だが、大抵はまず夫婦と間違われて同じ部屋を用意された。
 光王と一緒にいると、喧嘩ばかりしてしまう。まあ、喧嘩というよりは、気心の知れた友達同士の他愛ない言い合いのようなものではあるが、二人でいると、およそ〝仲睦まじい〟といった雰囲気〟からは程遠いように思えるのに、何故、こうも妙な勘違いをされることが多いのだろう。全く頭を抱えたくなる。
「光王、光王ったら、ねえ、ちょっと待ってよ」
 香花が一人で紅くなったり蒼くなったりしている中に、光王はさっさと一人で歩いてゆく。二人の間の距離は大きくなるばかりだ。
「光王、待っててば」
 叫ぶと、漸く光王が歩みを止め、背後を振り向いた。
「私、空腹でもう歩けないわよ」
 昼時はとうに過ぎている。年頃の乙女としては恥ずかしい限りではあるけれど、香花のお腹は先刻から鳴りっ放しで空腹を訴えている。今し方も、露天商の老人に腹の虫の鳴る音を聞かれはせぬかと気が気ではなかったのだ。
「そこら辺の店で適当に何か買って食えば良いだろう」
 光王の声は、いつになく冷たい。いつもは揶揄したり、子ども扱いはするが、光王は基本的には香花に優しいのだ。
「なに、何で、そんなに機嫌悪いの? 何か怒ってるの?」
 香花としては心外だ。何故、突然、光王がそのような態度を取るのか思い当たる節がない。
「あそこまで徹底的に否定することはないんじゃないか?」
 低い抑揚のない声。明らかに光王は怒っている。でも、何故―?
「え、何を? 何のこと。光王、よく判るように言ってよ」
「だから、俺たちが―」
 言いかけ、光王はハッとしたような表情になった。
「いや、もう良い」
 光王は額に落ちた長い前髪をかき上げながら、〝俺としたことが何をムキになってるんだ〟などと、ぶつくさ言っている。
 向こうから歩いてきた娘がすれ違いざま、光王に熱い視線をよこしてくる。しばらく経ってから振り返って見ると、案の定、娘はその場に立ち尽くしたまま、恍惚りとした視線で光王を見送っていた。
 光王は非常に目立つ存在である。ひと口には彼の類稀な美貌のせいだといえよう。陽光の当たり加減では時に黄金色にも見える茶褐色の髪と瞳を持つ光王は、朝鮮人離れした端整な美男だ。
 既に二十五歳になっているにも拘わらず、長い髪を結い上げもせず、背中に垂らして一つに括っている。身なりそのものは、どこにでもいる庶民のものだが、何故か彼はどこにいても人眼を引いた。
 女性から熱いまなざしを向けられることに慣れている光王は、逆にそういった秋波には無頓着だ。女という女が皆、自分に注目している―とまでは流石に思ってはいないだろうが、モテすぎるゆえに、かえって自分に向けられる熱い視線など、いちいち気にしない。そんな彼にとってみれば、香花のような〝お子さま〟と歩いていて夫婦と間違われるのは、はなはだ不本意なのかもしれない。
 だから、不機嫌になってしまったのだろう。香花は香花なりに光王の心理を想像したのだ。
「折角だから、貰っとけ」
 光王はぶっきらぼうに言うと、老人がくれた珊瑚のノリゲを無造作に差し出してよこす。
「う―ん」
 香花を小さな瓢箪の形をしたノリゲを受け取り、そっと懐に入れた。 
 そういえば、光王がくれたのも珊瑚の簪だった。まだ成人前の香花は長い髪を結い上げず、三つ編みにして背中に垂らしている。
 いずれ一人前の女性となった時、美しく結い上げた髪にあの珊瑚の簪を挿すのが夢だ。なので、光王から貰った珊瑚の簪は大切に懐にしまって肌身離さず持ち歩いている。