お兄さんのアパートで私は年上の超美人と鉢合わせ!まさかの二股? 小説 さよならから始まる恋物語 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 光樹の住まいは工場長から教えて貰ったとおりに行けば、すぐに判った。彼の家はN駅から徒歩五分ほどの平屋だった。一戸建てといえば聞こえは良いけれど、ひと間きりのいわゆる老朽化した貸し住宅で、似たような建物が少し間隔を開けて数軒寄り添い合うように建っている。いわゆる昔の〝長屋〟のようなものだ。
 沙絢が見たところ、空き家も多いようで、窓ガラスに〝空き家あり〟と赤字で書かれた札が貼り付けてある。どう見ても、沙絢が暮らしている安コーポラスの方がまだかなりマシといえた。コーポラスは一応、三LDKにはなっているし、外観もここまでみすぼらしくはない。
 だが、沙絢は別に彼の住まいで光樹を判断する気もないし、彼の家を確かめにきたわけではなかった。
 ピンポーン。玄関にブザーがあったので試しに押してみると、気恥ずかしいほど大きな音が響き渡った。何度か鳴らしてみても、いっかな出てくる気配はない。
 細くドアを開けると、物音に気づいたのか、中から弱々しい声が聞こえた。
「誰か知らないが、適当に入ってくれよ」
 沙絢は抱えてきた紙袋を下げたまま、中に入った。
 家の中はやはり一室しかなく、広さもさほどではない。外観を裏切らず内装もお粗末なものだが、光樹の性格を物語るように意外にきちんと片付けられていた。若い男の独り暮らしらしく、余分なものは一切なく、その点、縫いぐるみやらクッションやらとゴテゴテと飾り立てている少女趣味な沙綾の部屋とは大違いである。
「―大丈夫?」
 光樹は真冬だというのに薄い夜具に頭から潜り込んでいる。室内には小さな電気ストーブが一台、あるきりだ。枕許に座って声をかけると、一瞬、ピクリと布団の山が動いたように見えた。
「勤務先の工場の方に行ったら、お休みだと聞いたから、ここを教えて貰ったの。前触れもなく押しかけるのもどうかと思ったけど、様子も気になるし確かめたいこともあったから」
 言うだけ言ってしまうと、後は重たい沈黙が余計にその場の張りつめた緊張感を強調するだけだ。少し待っても、光樹が何も言わないので、沙絢は小さな溜息をついて立ち上がった。
「今日はこれで失礼するね。お粥を作ってきたから、食べられるようなら食べて」
 ここに来る前、沙絢はひとまず自宅に戻り、お粥を作ってきた。冷めないようにと父が通勤のお弁当用に使っていた保温ジャーにお粥を詰めて持参したのだ。
「ジャーを返してくれるのはいつでも構わないわ。私の方も光樹さんに訊きたいことがあるの。だから、また良くなったら、どこかで話をしたい。でも、もし、機会がなかったら、ジャーはもう返してくれなくて良いから、気にしないで」
 沙絢が踵を返したその時、布団が撥ねのけられ、光樹が飛び起きた。
「本当にお前はそれで良いのか! 俺たち、これきりになっても平気なのか?」
「―」
「黙ってないで、応えてくれよ。お前はもう俺があんな酷いことをしたから、逢ってくれないのか?」
 沙絢はゆっくりと振り向いた。
「光樹さんに逢えなくなって、私が平気でいられると思う?」
 十日ぶりに見る彼は一回り痩せたように見えた。精悍だった顔がすっかり憔悴してしまっている。そんな彼のやつれた様に沙絢の心は痛んだ。
「それは、どういう意味だ? その言葉を聞いて、俺はまだ沙絢に必要とされていると自惚れて良いのか」
「一つだけ教えて欲しいの。ホテルで私が光樹さんに訊いたことを憶えてる?」
 あのときの話はもう口に出すどころか思い出したくもないけれど、これは避けては通れない問題だと判っている。これからの自分たち二人のためにも。
「ホテルで?」
 光樹が眼をまたたかせた。沙絢は、あの質問を繰り返した。
―もしかして、ビルの屋上で私を助けてくれたときから、こんなことを考えてたの?
 涙混じりに悲痛な声で叫んだ言葉。そう、あの時、沙絢は確かに彼に訊ねた。デートに誘ったのは下心があったからだと悪びれもなく言った彼に、最初に自殺を止めに駆けつけてくれたときから、邪な想いを抱いていたのか、と。
「あの時、光樹さんは結局、応えなかった。私はあのときの応えが聞きたい。あなたが最初から私を好きにようにするつもりで近づいたのか、それとも、本当に死にそうな人間を助けたい一心で来てくれたのかを知りたいの」
「それは」
 光樹が言いかけて、口をつぐんだ。沙絢は固唾を呑んで次の言葉を待つ。
 永遠にも感じられるほどの静けさの後、彼が重い口を開いた。
「俺はそこまで鬼畜じゃないよ。それに電話の声だけでは、どんな子か判らないだろ。あのときは、とにかく沙絢に自殺を思いとどまらせなくてはと夢中だったさ。その子が美人かどうかなんて、考えもしなかった。実際、逢ってみて、可愛い子なんで確かに役得かなとは一瞬思ったけど」
「―馬鹿正直な男」
 沙絢は涙声で言った。
「あの日のことは本当に申し訳なかった。男として最低の行為をしたと自分でも反省しているし、これで沙絢が俺に愛想尽かしても仕方ないと覚悟もしてる。デートの間中、沙絢は俺に何度も言ったよな、〝私は光樹さんの彼女じゃない〟って。あの科白が実はかなりこたえてたんだよ。俺はお前のことを―」
 その時、ピンポーンと玄関のブザーが鳴った。切迫した空気を震わせたその音に、沙絢も光樹も一瞬ハッとした。
「光樹、いるの?」
 若い女の声だった。沙絢は現実に引き戻され、慌てて背後を振り返った。
「みっちゃーん。いないのなら、勝手に入るわよ」
 その場にはそぐわない明るい声と共に現れたのは二十代半ばほどの美人であった。バーバリーのコートを粋に着こなしている。白皙の美貌はどこかで見た気もするが、はっきりとは思い出せない。
「あ」
 沙絢は知らず腰を浮かせた。
「ごめんね。私は帰るから」
 早口で言い、逃げるようにその場を立ち去った。狭い三和土に置いてあった靴をはくときは、慌てていたので、またも転ぶところだった。―それほどに動転していた。
「待てよ!」
 沙絢以上に光樹の狼狽えた声が追いかけてきたが、この場にいられるはずもない。
 よりにもよって、好きな男の彼女が訪ねてきた場にのこのこと居合わせるなんて。
 あまりの不運と屈辱、情けなさに打ちのめされ、沙絢は泣きながら走った。もう、彼とはこれでおしまいだ。
 光樹の口から聞きたかった応えを聞けたときは、自分たちはこれからも続いてゆくのだと確信と希望を持てた。でも、彼に本命の恋人がいるのだと判った以上、もう、側にはられない。
 さよらなら、私の可哀想な恋。
 泣きながら緩慢な足取りで歩く沙絢はやはり異様に映るらしく、道をすれ違う人が怪訝な顔で見ている。でも、今はそんなことに頓着はしない。
 だって、パパが死んだ日を除いて、沙絢にとっては、今日が最低最悪の日だったから。
 雪の女王は今度もまた、私の大切な人を遠くに連れ去ってしまうんだわ。
 沙絢の瞳から澄んだ雫たちがとめどなく溢れ出し、十二月の冷たい大気に儚く散った。