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スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

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キャロライン洋子ちゃんキャロライン洋子キャロライン 洋子は、NHK教育放送の英語教育番組、ドッグフード(ビタワン)のCMなどに出演していた。なかよしの読者コーナーを担当していたこともある。

私生活では、幼稚園から高校までアメリカンスクールに通った。東京都調布市の私立ASIJを1980年に卒業。上智大学に進学、心理学を1年間学んで退学、19歳で父の祖国アメリカに移り、1981年にオレゴン州立大学入学。程なくしてタレント活動を停止。

大学時代は数理科学と数学を専攻し、1986年(昭和55年)、オレゴン州立大学科学部コンピューター科学学科の大学院に入学、人工知能を研究。1988年に修士の学位(M.S. of Computer Science)を得る。大学院修了後はヒューレット・パッカード社に入社しソフトウェア担当となる。

2009年より同社 Globalization Program Manager、2012年より同社 Internationalization Consulting and Localization Program Manager。米国コロラド州フォート・コリンズ在住。

キャロライン洋子さんはバラエティー番組に出ていたので見かける機会も多く、日本人好みの顔立ちでCMや司会に引っ張りだこでした。

ナショナル 掃除機スタンバイ ビタワン

キャロライン 洋子
キャロライン 洋子
ゲバゲバ90分 1/4

ゲバゲバ90分 キャロライン洋子ゲバゲバキャロライン洋子が唄うゲバゲバおじさんの歌は、1971年3月にレコードで発売されましたが希少性が高く絶版になっています。

当時のキャロライン洋子は子役タレントで、ゲバゲバおじさんの歌は僅か9歳で収録されたことになります。ゲバゲバ90分 1/4のプラカードを持っていた時も同じく9歳の頃で、まだあどけなさが残っています。

キャロライン洋子(1962(昭和37)年8月10日 - )は日本(米国籍)の元タレント。テレビラジオアテレコCMや雑誌などで幅広く活躍。本名はキャロライン・ナーン・カフ(Caroline Nan Koff)。

船舶会社に勤務するアメリカ人の父と日本人の母の間に東京で生まれた。3歳の時、兄と共に劇団若草に入り読売テレビ『パパのおくりもの』等に出演。1960年代より子役としてテレビ・舞台等で活躍、子供モデルとして活動した。

ゲバゲバおじさんの歌 キャロライン洋子
ゲバゲバ90分!+30

ゲバゲバ90分!+30 高田みづえ巨泉X前武 ゲバゲバ90分 !ゲバゲバ高田 みづえ(1960年6月23日 - )は、元相撲部屋の女将で、元歌手・元タレント。鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)出身。

夫は元大関の大相撲力士で元親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信。長女はタレントのアイリ。本名は日高みづえ。

1976年、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18代グランドチャンピオンとなる。1977年3月25日、シングル『硝子坂』でデビュー。キャッチフレーズは「超えてる16才」。当時は16歳だった。所属事務所はバーニングプロダクション、レコード会社はテイチク/ユニオンレコード。

身長153.8cmと小柄ながら芯の強さを感じさせるよく通る声とアイドル離れした高い歌唱力と表現力で、デビュー早々「硝子坂」「だけど…」「ビードロ恋細工」と3曲連続でヒット曲を飛ばし、同年の新人賞を多数受賞。同年末の『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし「硝子坂」を歌唱した。

タレントとしても活躍。特にTBSの『8時だョ!全員集合』やフジテレビの『ドリフ大爆笑』などのゲスト出演時はザ・ドリフターズのメンバーと水を掛け合ったり、物を投げ合うなどのコントを演じた。日本テレビの『カックラキン大放送!!』でも、研ナオコや新御三家(野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹)と共にコメディを演じて、お茶の間の人気を博した。

ゲバゲバ90分!+30 高田みづえ
天井から水をかけられた 高田みづえ
高田みづえ そんなヒロシに騙されて

高田みづえ そんなヒロシに騙されて高田みづえ そんなヒロシに騙されてそんなヒロシに騙されては、高田みづえの21枚目のシングル。1983年8月21日に発売された。作詞・作曲:桑田佳祐 / 編曲:若草恵

1983年の『第34回NHK紅白歌合戦』に本楽曲で出場し、4年連続通算6回目の出場となった。TBSテレビ系列の生放送音楽番組『ザ・ベストテン』には、1980年の『私はピアノ』以来、3年振り3曲目の10位以内へランクインされるも、当曲が高田自身同番組において最後の出演となった。

「そんなヒロシに騙されて」を歌うみづえちゃんの動画は、大ヒット曲だけあって結構たくさんあるのですが、その中でこの映像は割とレア度が高めなんじゃないかなと思います。何と言ってもこの時のみづえちゃんの衣装が「涙のジルバ」の時のトロピカルな衣装であり、「ジルバ」の衣装で「ヒロシ」を歌うという中々ないパターンになっています。

加えて0:50で、バックのギターの人が「だから一言伝えて」と間違って歌ってるのがバッチリ録音されていて、みづえちゃんも一瞬動揺しているのが感じられます。もちろん動揺は一瞬だけで、その後は問題なく歌っているのはさすがです。

そんなヒロシに騙されて ジューシィ・フルーツの11枚目のシングル。1983年8月21日に日本コロムビア(BLOW UPレーベル)から発売。作詞・作曲:桑田佳祐 / 編曲:ジューシィ・フルーツ

高田みづえ - そんなヒロシにだまされて
ジューシーフルーツ 恋愛スランプ

ジューシー・フルーツ 恋愛スランプジューシー・フルーツ 恋愛スランプ「ジューシィ・フルーツ」のイリアは「近田さんとやっていると、どうしてもバックバンド的にしか見てもらえない。自分たちのレコードを出したかったんです」と話している。

その曲調から当時流行したテクノ歌謡として紹介されることも多いが、ジューシィ・フルーツ自体の音楽性はギター・ロックバンドであり、元々テクノ・ポップ系アーティストではなかった。

テクノが勢いを失った1983年以降は、桑田佳祐作詞・作曲による「そんなヒロシに騙されて」(1983年)、「萎えて女も意志をもて」(1984年)といった楽曲があるが、1984年1月15日のライブを最後に解散した。

2009年、音楽活動を再開。イリア(ボーカル・リードギター)、トシ(ドラムス・コーラス)を中心にライブ活動を再開する。当初のメンバーは流動的だったが、やがてジェフ(ベース・コーラス)、アキシロ(ギター・コーラス)に固定。

ジューシィ・フルーツのメンバーが半分いるのでトシの提案でバンド名を「ジューシィ・ハーフ」とする。ジューシィ・フルーツの楽曲をセルフカバーしていた。2013年にバンド名を「ジューシィ・フルーツ」に変更して再結成となった。

そんなヒロシに騙されて ジューシィ・フルーツ
Juicy Fruits - Live At Nihon Kogakuin College 14th, Oct. 1980

ジューシィ・フルーツジューシィ・フルーツファルセット(英:falsetto)とは歌手が特に高いピッチ(音高)に対応するために作り出す声色、及びその発声技術を指す。ファルセットと呼ばれうる声全般に共通の特徴は、高い声が出しやすく起声が弱く喉の負担が小さいことである。

ソウルでは非常にありふれた歌唱技巧で、ロックボーカリストもこの歌唱法を応用する。アラニス・モリセットは女声歌手ながら幾つかの楽曲でファルセットを用いており、多くの女性は自然にファルセットを歌える。

ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーはより高い音域に達するために、たいてい自然な発声からファルセットに切り替えて歌っている。女声歌手の場合はファルセットによって、男声歌手ではめったに出せないハーモニクスを出すこともできる。

イリア S1
ジューシィ・フルーツ - 恋はベンチシート

ジューシィ・フルーツジューシィ・フルーツメンバー
奥野敦子(ボーカル、リードギター)愛称は「イリア」、0011ナポレオン・ソロの登場人物「イリヤ・クリアキン」が好きなことが由来。ギターはグレコ・ブギーBG800にマニキュアを塗ったものを愛用。現在は幼稚園で子供に美術を教えている。

柴矢俊彦(ギター)2002年のヒット曲『おさかな天国』や、南野陽子の『吐息でネット』や『へんなの!!』を始めとするヒットソングの作曲家としても知られる。

沖山優司(ベース)「東京スタイルズ」というアマチュアバンドからBEEFに参加、その後ジューシィ・フルーツのベーシスト。

高木利夫(ドラムス)沖山優司と共に東京スタイルズからBEEFに参加、ジューシィ・フルーツのドラマーとしてメジャーデビュー。

ジューシィ・フルーツ - 恋はベンチシート2
ジューシィ・フルーツ ジェニーはご機嫌ななめ/はじめての出来事 1980, July 25

イリアイリア『ジェニーはご機嫌ななめ』は、1980年(昭和55年)6月1日にリリースされたジューシィ・フルーツのデビューシングルである。

本シングルによるデビューの前年、1979年(昭和54年)8月に結成された近田春夫&BEEFを発展的に解消し、結成されたのがジューシィ・フルーツである。本シングルは、近田春夫のキングレコードから日本コロムビアへの移籍に伴い、コロムビアから発売された。

デビューシングルながら、全曲をファルセットによるウィスパー・ボイスで歌い切るという、当時ではほかに類を見ない新鮮な手法が話題を呼び、オリコン最高位5位、37万枚を売り上げた。

TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』にも、第141回に初登場、同曲で4回登場した。表題曲はスタンダードナンバーとなり、多くがカバーされた。

ジューシィ・フルーツ なみだ涙のカフェテラス
ジューシー・フルーツ これがそうなのね仔猫ちゃん

ジューシィ・フルーツジューシィ・フルーツ(Juicy Fruits、1980年 - 1984年)は、日本のバンド。近田春夫のバックバンドだった「BEEF」が前身。名前は映画『ファントム・オブ・パラダイス』に登場するロックバンドからの引用である。

デビュー曲で代表曲の『ジェニーはご機嫌ななめ』は、テクノ風アレンジと奥野敦子のファルセットボイスによるボーカルで注目された。

2009年にはイリア(ボーカル、リードギター)・高木利夫(ドラムス)の2名でジューシィ・ハーフ(ジューシィ・フルーツ1/2)として復活した。

ジューシィフルーツ 宇崎竜童 インタビュー 1980年
近田春夫& BEEF - LADY HURRICANE ああ、レディハリケーン (1979)

近田春夫近田春夫近田 春夫(1951年2月25日 - )は、東京都出身でミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、音楽評論家、タレント。慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。また、創刊されたばかりの「anan」編集部にアルバイトとして出入りしていた。

1974年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成。1970年代後期から1980年代初期にかけては、ラジオパーソナリティやテレビ番組のコメンテーター、テレビドラマ『ムー一族』、『家路~ママ・ドント・クライ』出演、アニメ映画『フリテンくん』の主役声優担当など、メディアを跨いだ幅広い仕事をこなす。

「日本の歌謡曲が持つ音楽性」に最も早く気が付き1978年から1984年にかけて雑誌「POPEYE」に伝説的なコラム「THE 歌謡曲」を連載。また「近田春夫&ハルヲフォン」のアルバム『電撃的東京』(1978年)でも、歌謡曲のカバーを行った。1979年にソロ・アルバム『天然の美』を発表。アレンジ・演奏に結成直後のYMOを起用。

結成したバックバンド「BEEF」は茂木由多加とNOGERAを除いたメンバーが、1980年にテクノ歌謡バンド ジューシィ・フルーツとしてデビュー、自らプロデューサーを務めた。

近代テクノポップスを語るうえで、外せないのが近田春夫氏である。近年はタモリ倶楽部の音楽テーマによく出演していた。

資生堂 バスボンハイコンディショニング…ああ、レディバスボン 曲 近田春夫