




南郷通の開かずの踏切や、前述したS字状の急カーブ(最小半径250m)、そして大谷地 - 北広島間の最大15.2パーミルに及ぶ勾配区間を解消すること。更に1960年代に持ち上がった新札幌副都心計画の絡みもあり、1973年(昭和48年)苗穂 - 北広島間のルートが現行の新札幌経由(苗穂 - 白石間は函館本線との重複区間)へ変更された。
昭和40年12月着工、昭和48年9月に苗穂から白石を経由する複線の現在の路線に切り替わった。これにより、廃線となった旧線跡地の利用に対しては色々な要望があった。
札幌市では国鉄と協議して昭和49年8月、その一部に白石サイクリングロードを建設した。昭和52年7月には大谷地駅跡に白石東冒険公園(当時の名称は「大谷地冒険ひろば」)が誕生し千歳線跡地は市民の憩いの場になった。
これに伴い旧線の月寒 - 北広島間、苗穂 - 東札幌間は廃止となり、月寒 - 東札幌駅間は1968年(昭和43年)に新設された東札幌 - 白石間の線路と共に函館本線へ編入されて貨物線となった。
このとき東札幌の旅客扱いは廃止され当時の駅前にバス停があった札幌市営バスの苗穂駅前や白石駅前との間の路線が代替バスとされた。
1986年11月1日国鉄ダイヤ改正に伴い、業務を1968年(昭和43年)設置の札幌貨物ターミナル駅に移管するなどして東札幌駅が廃止された。
