



定山渓鉄道は、1913年(大正2年)に国鉄苗穂駅から定山渓に至る軽便鉄道として定山渓温泉への観光客の輸送、木材の輸送、鉱石と石材の輸送を主な目的として計画された。
当初は苗穂駅から豊平川の左岸を遡り石切山付近で札幌市街馬車鉄道と平面交差した後に豊平川を渡り右岸を通って定山渓へ向かうルートを想定していたが、1913年(大正2年)8月の豊平川洪水を受けた護岸工事で当初の敷設予定地が使えなくなった。
そのため、1916年(大正5年)4月13日付の認可で分岐駅が苗穂駅から白石駅に変更となり、その後も月寒地区経由から豊平経由に変更され、真駒内地区では北海道庁種畜場の関係でルート変更を余儀なくされたりしたため、最終的に計画が固まったのは1917年(大正6年)8月であった。また資金繰りでの難もあり、定山渓鉄道株式会社の設立は1915年(大正4年)12月20日と当初の計画から大きく遅れている。
工事施工認可は1917年(大正6年)4月6日で、22.5 kg/m 軌条や車輌については国鉄の払い下げを受けた。こうして白石駅 - 定山渓駅間 (29.9 km) が1918年(大正7年)10月17日に開業した。開業当初は白石駅 - 定山渓駅間3往復と豊平駅 - 定山渓駅間1往復の運行で白石駅 - 定山渓駅間を1時間30分で結んだ。

