開雲堂閉店のニュース | スチャラカでスーダラな日々

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開雲堂 閉店記事
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開雲堂 - つともち開雲堂 - 小桜団子卍最中と若草山開雲堂 閉店ニュース開雲堂 閉店速報銘菓 卍最中創業145年の青森県弘前市土手町の老舗菓子店「開雲堂」が5月末で閉店することが2024年5月9日に分かった。店主の体調不良や後継不在が理由。同店は「卍(まんじ)最中(もなか)」をはじめとする和菓子が人気で、築96年の趣のある建物は土手町商店街の顔として愛された。市民からは「土手町がますます寂しくなる」「この味をもう食べられなくなるなんて」など歴史ある店と味を惜しむ声が聞かれた。

同店は1879(明治12)年、初代木村甚之助が「木村菓子店」として同市駒越町に創業。土手町にある現在の店舗は1928(昭和3)年に建てられた。銅板の外壁が特徴の「看板建築」で弘前市は2010年に「趣のある建物」、19年に景観重要建造物として指定している。

5代目店主の金濱香さん(69)の体調問題や後継ぎの不在と設備の老朽化などにより、同店は今月31日で閉店することを決めた。

弘前藩の旗印をかたどった看板商品「卍最中」は1906(明治39)年に弘前藩初代藩主津軽為信の没後300年祭を記念して発売し、100年以上愛されてきた。花見期間限定の「つともち」や、洋菓子の「ロシアケーキ」なども人気で、市内外に知られる菓子を多く手がけた。

閉店を知り卍最中を買いに訪れた弘前大学大学院教育学研究科1年の熊谷翼さん(24)は「子どもの頃から慣れ親しんできて、この味がもう食べられなくなるのは残念。歴史ある街から歴史あるものがなくなるのはつらい」と話した。市内に住む西村万里子さん(69)は「ここのお菓子は県外の人に送るととても喜んでもらえた。閉店したら土手町が寂しくなる」と肩を落とした。

先月のジュンク堂書店の閉店といい、土手町を代表する店舗が次々と消えることで商店街への客足がますます遠のくものと思われます。経営者の考え方もありますが、空き店舗利活用や事業継承などを支援してほしいです。

今年15年振りに桜祭りに帰省した際、父親がいつも美味しいからと話していたつともちを買ってくれました。甘すぎなくて本当に美味しくって来年も食べたいと思っていたところでした。最初で最後になるとは…。

卍最中は小さい頃から家に必ずあったけど食べた事がなく、この年になってから美味しいと思ったところだった。また一つ土手町の顔がなくなって寂しさが込み上げてきます。

食品製造系は、製造や準備で、朝早くから夜遅くまで過酷な割に、実入りは決して多くない。

親も子供に、「店は継がなくてもいい。もっと別の、いい仕事に就きなさい」と継がせる気は無い前提で、子供を大学や専門学校に進学させる親も多い時代。後継を期待せず、自分の代で閉めようというお店は増える一方。

特に弘前みたいな地方だと駐車場無料の、郊外の大型商業施設に客足が流れてしまって買い物の間の路駐もままならず、中心部や準ずる地域は、有料Pに停めるしかないような街中の個人店は、特に厳しいだろうね。

これは、青森市や八戸市も同じ。中心街ほど寂れ、段々と場末なムードになって来て、集客に難儀している。

ここのお店のアップルパイ食べてみたかった。食べる機会を逃したまま閉店になってしまうから、永遠に食べられなくなってしまった。

後継者がいないことはずっと前にわかっていたこと。地元経済界では自明だった。なのに閉店するんだから何も対策しなかったし、する気もなかったってことでしょ。惜しい気持ちはもちろんあるが、経営者が他家に譲って社員に暖簾を譲ってでもと言う気がないのだから仕方ありません。

Yahoo!Newsより記事とコメントを引用

開雲堂
2016.4.27に撮影した開雲堂

開雲堂 閉店のお知らせ
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