


麻生区王禅寺940の真言宗王禅寺にある原木は、国の登録記念物に登録されている。禅寺丸柿は、全体的に丸みを帯びて小ぶり。果肉には木目状の斑点がある。小ぶりの割りに種が大きく、果肉部分が少ない。
鎌倉時代の1214年(建保2年)に、現在の川崎市麻生区にある星宿山蓮華院王禅寺の山中で自生しているものを偶然に発見したとされる。
それまで日本各地の柿木は全て渋柿のもので甘柿の存在は知られておらず、日本で最初の甘柿として位置づけられている。
1333年(元弘3年)王禅寺は新田義貞の鎌倉攻めの兵火で焼失した。それを受けて朝廷の命で再建にあたることになった等海上人が、1370年(応安3年)に熟した柿を見つけ、あまりに美味であったため持ち帰り村人に接木をして栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めた。
明治時代末から昭和時代初期が最盛期で、1932年(昭和7年)には柿生地区だけで約9000本が栽培されていた。新品種の富有柿が市場に出回ると、新品種の方が甘みがあり、種も少なく実が大きいことなどの理由で昭和40年代の後半ごろに禅寺丸柿は市場から姿を消してしまった。