アメリカ横断ウルトラクイズ 2-1 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 後楽園・成田予選

第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 後楽園球場 電飾第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 第一次予選第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 機内500問ペーパークイズ『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、翌1978年から年1回のレギュラー化が決まった。

今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになり、「○×走りクイズ」が初登場した。

第1問に初めて自由の女神関連問題が出題されたが、その第1問と続く第2問が「群集心理」により「片方(不正解側)が1人、もう片方(正解側)が残り全て」というハプニングが起きたため、次の第3回で「○×ボール」を登場させた。

第一問「ニューヨークの自由の女神が、松明を持っているのは左手である。」

この超やさしい問題に正解しない方は、ほとんどいません。正解は×。今では自由の女神のアイコンも表示されるような時代です🗽

後楽園球場の第一次予選参加者が700名に対し、第一次予選通過者は100名。まだまだ予選の通過確率が高かった時代です。

成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移され、ジャンケンも「3勝先取」に縮小、以後このルールとなる。

第2回 アメリカ横断ウルトラクイズからは、チェックポイント別に紹介します。1978年に開催された第2回大会に弊ブログ管理者は参加資格がなく、この頃はまだ10歳でした。

第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 後楽園第1問の結果
第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 後楽園球場 第一次予選 第1問の結果

第2回 アメリカ横断ウルトラクイズ 後楽園予選の問題を解説【ウルトラクイズ裏話】