



坂本龍一は東京藝術大学院で作曲を学び、現代音楽と電子音楽に精通する音楽家。高橋幸宏は1970年代にイギリスでもデビューした“サディスティック・ミカ・バンドのメンバーで、ファッション・デザイナーでもあった。
白魔術でも黒魔術でもない、音楽のイエロー・マジックを生み出すバンドがYMOだった。
YMOは、コンピューターとシンセサイザーで彩られた無国籍なエキゾティック・サウンドをディスコ・ビートに乗せた音楽を創造するために結成された。
その当時に影響を受けたのはアメリカのマーティン・デニー、ドイツのクラフトワーク、イタリア人プロデューサーのジョルジオ・モロダーたちが作っていた音楽。
最初にレコーディングしたのはマーティン・デニーの曲をコンピューターとシンセサイザーでカヴァーした「ファイヤークラッカー」。冒頭にコンピューター・ゲームの効果音が入り、日本以外では「コンピューター・ゲーム」というタイトルでシングル発売された。
YMOは結成当初から、ローランド社製の音楽用マイクロ・コンピューター“MC-8“を積極的に利用した。それまでのシーケンサーとちがって、音色やリズムの複雑な制御が可能なMC-8の操作のために、冨田勲の弟子だった松武秀樹がエキスパートとして招聘された。
ローランド社の開発者が驚愕したのは、スタジオでの録音のために設計されたこのコンピューターを、YMOはコンサートでも使用したことだ。YMOのステージにおけるバッキング演奏はあらかじめ録音されたテープではなく、MC-8によるリアルタイムの自動演奏だった。
松武秀樹によってステージではMC-8のデータはカセット・テープからロードされていた。これによりYMOはライヴ演奏でも複雑多彩な表現を可能としたのだった。
Google Arts & Cultureより記事を引用