高橋ユキヒロ 4 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

Yukihiro Takahashi - My Bright Tomorrow (Live in '83)

My Bright Tomorrow My Bright Tomorrow My Bright Tomorrow Q.流行の移り変わりでいえば、短髪にVANのボタンダウン、アイビー・ファッションだった人が徐々に長髪のサイケデリックに変わっていくわけです。特にバンドをやっていた若者達は。

A.僕が高校生の頃、風林火山主催のダンス・パーティ(キャンドルライト・パーティ)で大学生だった細野晴臣さんに初めて会った時、長髪だったんです。ヒゲもあって。

それでホワイトジーンズをはいていた。くるぶしくらいまでの。でもソックスはアイビーの感じだったんですよ。それを指摘したら、すごく嫌がられた記憶がある(笑)。「生意気な高校生だな」と。

Q.幸宏さんはどういう格好をしていたのですか

A.僕もホワイトジーンズとかをはいていたんじゃないですかね。当時、カッコよかったのは、Leeのピケのホワイトジーンズ。上野のアメ横で探して買いました。

僕も中学2年くらいからアイビーでしたね。それ以降、高校1年にかけて、日本のメンズ・ファッションの王道はずっとVANだったんです。

みゆき族(VANの服に身を包み、銀座のみゆき通りに集まる若者達)なんて言葉もありましたし。兄貴達の世代が一番影響を受けていると思います。兄貴の友達は皆VANの袋を持っていましたね。袋にアイロンかけていた時代ですから(笑)

その後JUNも知られるようになってJAZZとかエドワードも続き、そんな中でMR.VANが登場したんです。MR.VANはヨーロピアンな感じで、当時はコンチ(コンチネンタル)と呼ばれていましたね。僕がハマったのは高校2年くらいかな。

記憶の記録 より写真と記事を引用

銀座みゆき族 VANの紙袋
銀座みゆき族 VANの紙袋