




弘前城の地図は一番下に配置しましたが、西の郭とは地図上でも西の郭と書かれている場所だと思っていました。そこは西の郭未申櫓跡があり、西側の土塁に沿って御馬場や御矢場が作られたほか、各地の珍しい植物を植えた「御花畑」があったと伝わっています。
1765年(宝暦6年)の絵図によれば、この櫓は3階建てでしたが、1906年(明治39年)に煙草の火の不始末で焼失してしまったそうです。まだ写真も発達していない時代に焼失してしまっては再現することも不可能です。
西の郭未申櫓跡は土塁が盛られ、高台になっています。この上に当時は、西の郭未申櫓が建っていました。その高台には櫓の礎石が残り、当時の面影を覗かせます。
弘前公園のサイトを見るまで波祢橋の先にある東屋の地名が不詳でしたが、ここまで西の郭の範囲がありました。東屋から撮った風景が中心なので、西の郭未申櫓跡そのものは撮影していないことをお断りしておきます。
西の郭 蓮池前の紅葉の土台となっている土塁の上には、本丸戌亥櫓跡があります。本丸戌亥櫓跡には東屋があって、本丸観光に疲れた観光客の癒しの場となっています。
西の郭未申櫓跡より記事を一部引用

写真は弊ブログ管理者が撮影しました