

更には翌日の試合後優勝した松山商業の監督と球審を務めた審判が同じ明治大学野球部の先輩後輩の間柄だったことから球審が松山商業に有利な判定を下したのではとの疑惑も存在。一部では両者の出身大学をもじって「明大ストライク事件」と呼ばれる。
当時、産経新聞の記者だった片岡宏雄はコラムの中で両者の間柄に触れ「誤解を招くような審判構成はあらかじめ避けるべきではないか」と綴っている。
実際、審判は都道府県の高野連から推薦され出場しているため日本高野連は審判団が中立に判定できるようにと審判の出身高校や出身都道府県の高校の試合には出場できないようにルールで定められている。
しかし、出身大学や先輩後輩などの関係についてはルールで定められていない。明大ストライク事件とならずに正しい判定がされたなら四球となり、青森県勢の甲子園初優勝が決まっていたはずであった。
これ以後、平成元年になるまで青森県勢の甲子園戦績は初戦敗退が続くことになった。
